【対談】経験を次世代に伝えたい―下村博文 文部科学大臣×平野啓子氏

3・11当時の印象はどのように:平野
大臣:子どもたちの「生きる力」感じた

下村博文 文部科学大臣×平野啓子氏 平野 あの東日本大震災が起こった3・11、振り返ってみると、当時はどのようなお気持ちだったでしょうか。

 大臣 震災の当時は野党の立場でしたが、シャドウキャビネットで自民党の文部科学大臣でした。3月30日に仙台から気仙沼、陸前高田などをまわり、震災から2週間余りでそのままの状態でしたから、自然に対する人間の小ささ、何もできないという無力感を感じました。

  それでも被災された方々が、誰に憤りをぶつけるのでもなく黙々と耐えながら、早く復旧したいという思いに頭が下がりました。家や家財を流され、家族を亡くされた方もいる学校の体育館で、避難生活をされているたくさんの方とお会いしました。野党の立場でも、できることは何でもやらないと申し訳ないとの思いから、必要な物資を持って行ったのですが、水、食糧などはかなり行き渡っていました。ただ、ある避難所では乾燥機が欲しいとの声を聞きました。600人位が一緒に生活する中ですが、その半分は女性ですから、洗濯物をその辺に干すのはいやなのだと気付きました。

  平野 人目につきますから、女性には気になりますね。下着など見られたくないですしね。

  大臣 どこに何が必要なのかを具体的にニーズに応じて、きめ細かく、やれるところはやって差し上げるのが本当の支援なのではないかと思いました。

  平野 私も最近、これは自分の思いで自主的に取材に行ったのですが、仙台、気仙沼、陸前高田を巡ってきました。今でも地元の方は懸命に立ち上がろうとされているし、自分たちの経験を皆に忘れないでほしい、だから自分たちも苦しいけど経験を伝えていくと。このことが将来の災害で、被害を受けた方たちの役に立てばいいと。

  もし役立たないことを自分たちがしていたら、亡くなった人たちに申し訳ないという思いを、一杯にぶつけてこられたのが印象的でした。

  大臣 私も現地をまわったなかで、子どもたちの「生きる力」はすごいなと、いろいろな場所で感じました。その一つが今年3月、宮城県女川町を訪問した際、出会った中学生たち。この経験を風化させないために記念碑を建立しようと、中学生が自ら計画していたのです。

  PETボトルで100円募金を集める「いのちの石碑プロジェクト」という企画で、東京に修学旅行に行ったらいろいろな場所に募金場所を設けたいと聞いたので、文科省にも置きにいらっしゃいと伝えました。すると4月17日に来て、1か月間で相当な金額が集まったようです。

  1000万円くらいあると女川の21の浜すべてに石碑を作れるそうですが、それを中学生が自ら発案して、修学旅行の機会を生かし行動した。自分たちのふるさとを愛し、同じような被害が起きないように意識を高めようと、災害にも打ちのめされずに活動しているのは素晴らしいし、是非応援してあげたいなと思いました。

【2013年8月19日号】

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