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人を対象にし、常に人と接し、人に影響を与える「教員」という職業のストレスは、教員同士であれば容易に推測できるでしょう。子供を取り巻く健康課題は、次から次へと蓄積される中で、属人的対応が多くを占める「養護教諭」は、職務の特性から、常に適切な対応が求められています。
子供の背景も個々に異なり、正解がある事例ばかりでなく、その成果が見えにくいことも多いです。
また、その多くは一人配置である一方、着任したその日から、ベテラン養護教諭と同様の対応を、教職員、保護者、子供たちから求められるという現状もあります。
今や養護教諭の教員採用試験は最難関ですが、合格した学生に学校関係者以外の人は「暇だからその職業にしたのでしょう」と聞くそうです。担任を持たず、授業がなく、いつもゆったりと構え、話を聞くモードになっている養護教諭に対して「保健室で一人の時に何をしているのだろう」と思うのかもしれません。
養護教諭の多忙感や幅広い職務、状況に応じた様々な対応の必要性などを他者にどのように伝えるか、その難しさを実感しつつ養護教諭の養成に携わり、2年が経過しようとしています。その間、教える立場である一方、学生の会話から逆に気づかされることも多く、学生の鋭い観察力に驚かされています。初めての保健室ボランティアに参加したある学生の話です。
「保健室には子供たちだけでなく先生方も多く訪れるのが印象的で、養護教諭の人柄や保健室の雰囲気は大事だと感じました」。先生方の来室理由も様々で、「クラスのAちゃんが、給食を食べないのです。なにか食べてもらえる方法はありますか」などという質問から「Bくんは今日、出席しています」という報告、また「おはようございます」「今日は寒いね」というあいさつも含め、それら一つひとつに意味がある‐。と彼女は学んだようです。
どれも担任はもちろん養護教諭にとっても情報収集の機会であると同時に、貴重な情報源です。その積み重ねこそが信頼関係を結び、さらに情報の共有、何かが起きた時の迅速な解決につながっていきます。
他にも、「本当はとても忙しいのに子供たちや先生が来室すると、何事もなかったかのようにゆったりと話を聞いていた」という気づきも多く見受けられます。それらは、自分が子供の時には気づかなかった新たな発見のようです。
養護教諭の毎日は、いつ、どんなことが起きるか、どんな相談が舞い込むか、予測不能で予定が立たない緊張の連続です。命に直結することへの対応を迫られることもあります。そして、必ずしも全てがうまく進むわけではありません。
ではなぜ、また次へ進むことができるのでしょうか。学校組織の中の「周囲のサポート」がキーポイントになっていると感じます。無意識に時には意図的に言葉や行動を通して撒いている「種」は、「信頼」「協力」という枝となり、葉をつけ成長します。そして、日々の起こる事柄の解決への「周囲のサポート」という「実」を結んでいくのではないでしょうか。
養護教諭を退職する際、何通かお手紙をいただきました。そこには「笑顔でいつも声をかけていただいた」「先生に会うとほっとする」という言葉が並んでいました。「互いの立場を理解し、大切に思うこと」ここから「サポート」は始ります。
【2015年2月16日号】 関連記事