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養護教諭として30年間勤務した間、本来は安心・安全な空間であるはずの学校において「人間関係がうまくいかない」という状況から、退職を選択せざるを得なかった悲しい場面を、自分の無力感とともに見てきました。
一人職であるがゆえの疎隔感や孤立感を味わわせないためには、大規模校、小規模校に限らず、教職員が形成する組織力が大きく影響すると感じています。
養護・養教ではなく 「養護教諭」表記を
学校を異動するたびに、着任した当日に起こす「行動」があります。
多くの学校では、校長室(高校は職員室でした)に、その学校の教職員の構成メンバーが明示され、男女別人数が書き込まれています。例を示せば「校長」「教頭」「教諭」「養護(養教)」「事務職員」「学校栄養職員(栄養教諭)」「用務員」等です。
「養護」や「養教」の記載の理由を尋ねるとほとんどが、「養護教諭は文字数が多いから」との答えです。
しかしながら、それ以上に多い文字数でも、正式に示されているなど、今までに納得がいく説明をいただいたことはありません。
1人ひとりの教職員を大切な仲間と思うために
私が起こした「行動」とは、養護教諭だけでなく、ほかの職種においても職名を省略している場合は、訂正をお願いしてきたことです。たかが、職名の標記ですが、学校組織のなかで、それぞれが大切な役割を果たしていることを認める第一歩が、対外的にも示すこの「省略のない"表記"」だと考えています。
また、組織の一人として認める行為の1つとして、「相手の名前を憶え」「名前で呼ぶ」ということがあげられると思います。子供と同様、大人である私たちも名前で呼ばれるとうれしいものです。
約100名の教職員の心を支えるために
養護教諭としての最後の勤務校は、総勢100名余り(常勤・非常勤の教職員合わせ)の高等学校でした。
異動前の校長面接で「先生には、教職員のメンタルヘルスも見ていただきたいと思っています。卒業アルバムをお貸しするので、着任の日までに教職員の顔と名前を覚えてきてください」とアルバムが手渡されました。
「名前を覚える」ということは養護教諭の特技であり、約束どおりに宿題をやり遂げました。おかげで、初日から「○○先生」「△△先生」とお声がけしながら話が弾み、輪の中に入って一気にコミュニケーションが広がっていく実感がありました。
一方で、ネームプレートに大きな文字で「上原」と書いてあるにもかかわらず、目の前で「保健の先生…」と話し始める人も少なくなく、また、遠く離れたところからも「養護の先生!」と呼ばれます。
わずかなことが孤独につながる
このことからも一人ひとりを大切に扱うという姿勢がうかがえないと感じてきました。この日常的なほんのわずかなことでさえ孤独感、孤立感が生じ、そんな中で、校内に信頼して話すことができる相手も見つけられず、メンタルを悪化させてしまう原因となるのです。
今回は養護教諭の例をあげましたが、1人職への対応はもとより、学校組織のすべての人を大切にする姿勢を持つことにより、プラスの人間関係を構築できます。そして、それぞれが与えられた役割を果たせることにより、組織力が高まると考えています。
【2014年7月21日号】
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