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【九州教育旅行現地視察会】
南九州の自然・環境・歴史・平和学習

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新幹線で選択肢拡大―関西・中国・四国から九州へ

南九州 平成25年度より関西方面から博多を経由し、九州新幹線で南九州地域へ入る修学旅行の集約列車の運行が始まる。これにより、いよいよ九州新幹線を利用した修学旅行が本格的となる。新大阪から鹿児島中央まで約3時間半の旅と、身近になった南九州(熊本・宮崎・鹿児島)を対象にした「教育旅行現地視察会」を実施した。関西・中国・四国地方の中・高等学校教職員らが参加し、環境・歴史・平和・自然・文化など新たな南九州の学習素材の魅力を探った。 (主催/九州観光推進機構、企画・協力/教育家庭新聞社)

 

 

 

熊本県市内一体をフィールドに 水俣病から学ぶ環境教育

エコパークを中心に 水俣病の学習を

  最初の目的地は、熊本県の水俣市。九州新幹線で博多駅から熊本県最南の駅「新水俣駅」へは、「さくら」に乗車し約1時間で到着した。

南九州
水俣では国・県・市の環境学習施設
があり充実」

  水俣市では近年、「水俣病」と環境教育を関連させた教育旅行事業を展開している。水俣病は、チッソ水俣工場が不知火海に流した工場廃水に含まれるメチル水銀化合物が魚介類を汚染し、その魚を食べた人たちがメチル水銀中毒になった公害病だ。

  人に伝染したり遺伝することはないが、差別を受け、水俣出身というだけで避けられるケースも少なくなかった。また、日本の経済成長を支えてきた工業都市であり、チッソで働く住民も多く、市内には様々な立場の人が住み、海側と山側の人では水俣病へ対する意識も違っていたという。

  学習の舞台は、水俣湾を臨む「エコパーク水俣」。かつて湾の海底にたまっていた水銀を含むヘドロを取り除き、親水護岸の内側に封じ込めて埋め立て、「水俣病情報センター」「水俣市立水俣病資料館」「熊本県環境センター」等を建てた。

南九州
語り部の吉永さんは家
族の闘病やこれまでの
自分の考えを話し、参
加者も目頭が熱くなる

語り部の講話は 人権学習の一環に

  その学習を支援するのが、NPO法人環不知火プランニング。「フィールドパートナー」として説明を行う。語り部の一人、吉永理巳子さんはチッソに勤める父、漁師の祖父が発病。しかし、自身が40歳になる頃まで、それを公にできなかった。水俣病と関係なく生きたい、と疎ましく思っていたのだという。

  「15年前に本を読み、私はたまたま生き残ったのだとわかった。これをきっかけにやっと父のことを考えられるようになり、自分が一番水俣病を差別していたことに気づきました」と話す。環境学習に留まらず、人権学習の場ともなる。

  また、水俣市では現在ゴミは24分別。公害を体験したからこそ、環境問題への取り組みが深いことがわかる。さらに水俣周辺では、ラフティングで有名な人吉市、県境を挟んで隣の出水市(鹿児島県)の民泊体験と組み合わせた学習も効果的だ。その他県北、中央地域では阿蘇、熊本城と、あらゆる学習に対応できる。

 

 

宮崎マリンプログラム体験で時間・空間・仲間を知る

南九州
穏やかな海岸線が続く日南海岸に浮か
ぶ青島
南九州
海からすぐの「渚の交番」でライフセー
ビングの心得と蘇生 法を学ぶ
280年間栄えた飫肥藩の城下町は、国の
重要伝統的建造物群保存地区。「食べあ
るき・町あるき」MAPで地元の人とふ
れあいながら歴史学習

 水俣市から九州自動車道、宮崎自動車道を経由して約2時間半。宮崎市内にはワシントニアパーム、フェニックスの木が並び、暖かい街に来たことが肌で感じられる。それもそのはず、年間の日照時間、快晴日数は日本トップクラスなのだ。

  宮崎市内南部「青島」を中心とした海岸線は、マリンプログラムに最適な場所だ。ここでは海の魅力を体感できるサーフィンやバナナボートなどのプログラムのみならず、安全について学ぶこともできる。

  青島の海岸に建つ「渚の交番」は、海辺の安全を守りながら、地域を活性化させる場所として機能している。室内で映像を見せて心肺蘇生法を学んだ後に、海でのマリンプログラムをする学校もあり、平成24年度は中高7校が利用した。

3つの「間」で生きることを学ぶ

  この日は、渚の交番内のコミュニティースペースを使ったライフセービングプログラムを体験。実際のサーフィン大会で、気を失い心肺蘇生を施されて助かった人の映像が流れると、一瞬にしてその場の空気が変わった。一分一秒が、人の命にとっていかに大切なのかがわかる。

  その後、AEDを使った学習とフラフープを使ってチームワークを試すワークショップを体験。人の命と自然から、生きることを学習できる場所だ。「ここでは時間、空間、仲間、3つの“間(ま)”を子どもたちに伝えています」と宮崎ライフセービングクラブの藤田和人理事長は話す。

城下町「飫肥」で 歴史を学ぶ町歩き

  続いて、青島から南へ約1時間。1588年から280年間に渡って栄えた飫肥藩・伊東氏の城下町、日南市飫肥(おび)町へ。武家屋敷を象徴する門構えや、石垣、漆喰塀などが残る町並みは、九州で最初に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された。明治の外交官・小村寿太郎の「小村記念館」も学習素材の一つだ。

  町歩き時には、有料施設のフリーパスと城下町の店で使える5枚の商品引換券がついた「食べあるき・町あるき」MAPが活躍(有料)。数百年の伝統の味「おびの天ぷら」、殿様に献上した「厚焼きたまご」など、伝統の食を体験できる。

  また、近年宮崎県では人の温かさに触れられる「農家民泊」の受け入れが盛んになってきている。霧島連山の麓、大自然に囲まれた「北きりしま」、伝説が残る県北部の「高千穂郷」、宮崎市からほど近い古代ロマンあふれる「西都市」が受け入れ地区だ。

 

 

鹿児島九州最南端の地で学ぶ 日本の近代化を戦争の歴史

火山灰が舞う桜島の展望台で、間近に迫
る噴煙は圧巻。そこに住む人々が自然と
共生していることを体感できる
知覧特攻平和会館には
特攻で戦死した若者の
遺書や手紙が置かれる
南九州
鹿児島市内の仙巌園にある舞う
された150ポンド鉄製砲。尚古
集成館と併せて日本の近代化そ
感じとることができる場所

 飫肥から鹿児島県の桜島を目指す。垂水市に入ると、周囲は灰をかぶった屋根、車、と様子が変わってくる。桜島は日々活動し、そこには住民がいることを実感することができた。桜島から鹿児島市内へはバスも乗船できるフェリーで約20分。導線がスムーズだ。

史実を正しく学び 平和・命を考える

  鹿児島市内から約1時間、薩摩の小京都・南九州市の知覧へ向かう。知覧の武家屋敷群は、国選定重要伝統的建造物群保存地区。この美しい街並みを持つ知覧だが、太平洋戦争末期には、陸軍の特攻隊が飛び立つ基地となり、1036人がここを主軸に飛び立った。

 「知覧特攻平和会館」は、史実を正しく学習し平和や命について考える場として、語り部の講話、遺影、遺品、記録などの資料を展示。タッチパネル式の解説システムでは、遺書や手紙を楷書に直しており、子どもたちでも理解しやすい。

  同館を訪れる教育旅行団体は、平成23年度621校で、今年度はそれを超えている。約30分の講話で特攻隊の概要を学び、その後見学というパターンが多い。

  語り部の山口繁章さんは、写真パネルを用意して、どんな環境に生まれ、何歳で出撃したのか、また、軍隊の階級なども説明してくれ、講話後に何をどのように見学したら良いのかがわかる。「遺族が高齢化し、5月の慰霊祭には、ひ孫が来る時代になりました。平和の尊さ家族のきずなを次世代に伝えていきたいと思っています」。

日本の近代化に貢献  島津斉彬の功績

  知覧から鹿児島市内に戻り、「尚古集成館」と「仙巌園」へ。

  幕末に28代島津斉彬は東洋最大の工場群「集成館」を築き、日本でいち早く強く豊かな国づくりを目指した。死後、事業は一時縮小されたが、29代忠義が実父の久光と共に近代化事業を再興。現在の尚古集成館はその時の機械工場で、当時の資料や再現展示が並び、日本の近代産業の礎を学ぶことができる。

  隣接する仙巌園は島津家の別邸。桜島や錦江湾を庭の景観に組み入れた庭園。園内には大砲を鋳造した反射炉が残されて降り、そこには実物大で復元された薩摩藩150ポンド鉄製砲も置かれており、圧巻だ。鹿児島市内は見学地が比較的コンパクトにまとまっているので、班別自主研修にも適している。

  鹿児島県は年間を問わず多くの種類の農業体験を行うことができ、それを生かした民泊の受け入れ地も多い。また、屋久島や奄美大島など、離島での教育旅行もおすすめだ。

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※学校名、肩書きは当時のものです。

【2013年2月18日号】

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