京都府北部、日本海に面した舞鶴市は、第二次世界大戦終結後、シベリア抑留等からの引揚者66万人を13年間にわたって温かく迎え入れた町として知られる。引揚船から舞鶴港に降りた多くの人々がここから全国各地の故郷へ帰っていった。今回、平和教育に適し、新たな教育旅行先として舞鶴引揚記念館に注目。日本三景の天橋立などがある「海の京都」と呼ばれるエリアを含めて、11月26・27日に教員対象の教育旅行視察会を行った。
舞鶴市は日本海若狭湾に面し、明治期に海軍の鎮守府が置かれた。長きにわたり軍港がおかれた舞鶴港は、戦後政府が認定した全国18港の引揚港のひとつとして、1945年から1958年まで引揚船受け入れの使命を果たした。この間、舞鶴市に帰ってきたのは約66万人の引揚者と1万6269柱の遺骨。
舞鶴引揚記念館は全国からの寄付等により、苦難に満ちたシベリア抑留と引揚の史実を後世に伝えるため、1988年に設立された。シベリアの地で使用した防寒具や「引揚證明書」など、全国から約1万6000点の資料の寄贈を受け、常設展では1000点を超える資料を紹介。2015年には収蔵資料のうち570点が「ユネスコ世界記憶遺産」に登録された。
「シベリア抑留体験の記録」などの資料からは、過酷な暮らしや強制労働のようすが伺える。そのひとつ「白樺日誌」は、白樺の木の皮に和歌が煤(すす)で書かれたもの。奇跡的に旧ソ連に没取されず、日本へ持ち帰られたものだ。空き缶の先を尖らせたペンで、日々の暮らしや家族への思いが綴られている。
母から抑留者への手紙など「安否を気遣い帰還を願う日本の家族に関する資料」、舞鶴市長が市民に宛てた回覧文などのほか、抑留者が拾った針金等で作ったスプーンなどの製作物もある。
同館では語り部が各グループを案内するほか、学芸員による講座も開催。記録絵画や貴重な写真から、抑留や引揚の史実を学習できる。シベリアから持ち帰ったコートや防寒帽等を身に着けたり、強制労働の木材運搬といった体験も用意され、受け身の学習にならない工夫がされている。
戦後、日本全国の引揚者は、軍人・民間人合計で約660万人。膨大な人数のため、実は引揚者が児童生徒の身近にいることも多く、そこから平和への意識へとつなげやすい。参加者からは「広島・長崎が原爆の直接的な被害にあったこととはまた別の角度で、舞鶴は抑留者を待った・受け入れた地域。この『待つ』という目線は、終戦から年月が経った現代の中高生にリアルに感じられるのではないか」との声があった。
今回、資料解説を行った語り部の山本富美子氏によると、抑留者は過酷な体験を語りたがらないという。強制労働の厳しさに加え、寒さと飢えで仲間が亡くなり、みじめさや自責の念が非常に強いのだ。
舞鶴市民は引揚船が入港する度に抑留者を温かく出迎えた。戦後の物資の少ない中、お茶や蒸した芋を振る舞った。心身に深い傷を受け、抜け殻のようだった抑留者たちは、生きて帰国した事を家族のように喜ぶ市民の優しさに触れ、生きる望みを持ったことだろう。
参加者から「全国各地に引揚港があったが、なぜ舞鶴に引揚の資料が多いのか」と質問が出た。舞鶴は1950年以降、国内唯一の引揚港となり、世間で戦後復興が進む中でも1958年まで引揚船を受け入れたことが大きな理由という。
舞鶴引揚記念館では平和教育に留まらず、人々の「困難時の心の支え」「相手へ寄り添う心」という人間性に触れ、育む場所と言える。
舞鶴引揚記念館へは、京都市から京都縦貫自動車道を利用すると、約90分で到着。日本三景のひとつの「天橋立」等がある「海の京都」エリア全体で訪れたい。鉄道を利用すれば、生徒のグループ行動として海の京都のスポットを回ることも可能だ。
2泊3日の日程の場合、京都市内での活動と組み合わせることで、平和教育と地域の歴史や文化を体感できる教育旅行が可能となる。
▽住所 京都府舞鶴市字平1584番地 引揚記念公園内▽℡0773・68・0836▽開館時間 9時~17時(入館は16時30分まで)▽休館日 12月29日~1月1日、毎月第3木曜日(8月と祝日を除く)▽入館料 大人400円 小・中・高・大生150円
日本海に面する「海の京都」と呼ばれる京都府北部地域(福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市、伊根町、与謝野町)は、古代より大陸の窓口として栄え、多くの神話の舞台となった。舞鶴引揚記念館訪問にあわせ、海の京都の特徴的なスポットを視察した。
舞鶴地域の特産品ショップ、イベントホール、市政記念館など、観光拠点・地域の文化交流の場として2012年にオープン。倉庫群8棟は国の重要文化財。舞鶴鎮守府の軍需品の保管庫として1900~1921年に建築された。
日本三景のひとつとされる景勝地。野田川から流れる阿蘇海と宮津湾の海流から、砂礫(されき)が堆積してできた砂嘴(さし)という地形。全長は約3・6㎞、約6700本の松が生い茂る。
天橋立を南側から見ると「龍が天に舞い上がる姿」に、北側から見ると「天への架け橋」に見える。展望台では「股のぞき」や「かわらけ投げ」も楽しめる。ウォーキング(片道50分)、サイクリング(20分)、観光船、海水浴などができる。
京都府与謝野町の「ちりめん街道」は、絹織物「丹後ちりめん」の生産地で、京都との物流拠点。手米屋小右衛門(てごめやこえもん)が京都の西陣で技術を習得し、この地で広めたとされる。
江戸時代から昭和初期にかけ、高級絹織物の発展のおかげで街は近代化。街道には当時の商家や医院、銀行などの建物が約120棟残る。木造、土塀の建築物群は希少で美しく、現在も一般住宅として使用されている建物もある。
2005年には、重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
大江山の鬼伝説や国内外の鬼文化を紹介。「鬼とは何者か」に迫る。節分、なまはげ、能や狂言の伝統芸能、昔話など、悪の象徴にも神にもなる鬼。その系譜などの歴史的視点や、外国事例などの大局的視点でも考えを深められる。
飛鳥時代から現代までの全国の鬼瓦の実物・複製も紹介している。
1579年、明智光秀により築城された福知山城は、明治の廃城令により石垣と銅門(あかがねもん)だけを残して大半が失われた。1986年に3層4階の天守閣を復元。費用約8億円のうち、約5・1億円が市民の「瓦一枚運動」の寄付によって集められ、再建された。天守閣の石垣は「野面積み」や「乱石積み」と呼ばれる技法で、未加工の自然石や五輪塔や灯籠などの石造物も利用されている。
最上階の天守閣からは光秀が治水に取り組んだ由良川を見下ろせる。
視察会には小・中・高等学校の教員が参加した。「平和教育」や「地域学習」などの視点から感想が寄せられた
教育家庭新聞 新春特別号 2023年1月1日号掲載