熊本地震の影響で落ち込んだ九州の修学旅行は、昨年、発生前年度比約87%まで回復。地震を教訓に学ぶ防災・減災等の新たなプログラムも整備され、教育旅行先としてさらなる魅力が増している。(一社)九州観光推進機構は、首都圏・関西方面の教員を対象に「南九州教育旅行現地視察会」を実施。震災後の正確な現状を伝えると共に、参加者は南九州ならではの平和・防災・歴史・自然体験・民泊等の貴重な学習素材を視察した。
1日目 | 鹿児島空港―鹿屋(平和学習プログラム)―鹿児島市内泊 |
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2日目 | 鹿児島―鹿児島港~桜島(火山学習)―北きりしま(民泊視察)―人吉(平和学習)―人吉市内泊 |
3日目 | 人吉―益城町(震災プログラム)―わくわく座・熊本城(防災・歴史学習)―熊本空港 |
九州教育旅行ネット=kyoiku.welcomekyushu.jp
羽田空港から約2時間、伊丹空港から約1時間15分で鹿児島空港。さらにバス移動で約1時間10分の鹿屋(かのや)で平和学習を体感した。
大隅半島に位置する鹿屋には、太平洋戦争末期、日本最大の908名の特別攻撃(特攻)隊員が飛び立った基地(現在は海上自衛隊鹿屋航空基地)があり、市内には今も数多くの貴重な戦跡が残っている。
平和学習は鹿屋航空基地史料館からスタートした。館内には「零式艦上戦闘機五二型」や特攻隊員に関する貴重な資料が展示され、旧日本海軍創設期から現在の海上自衛隊に関する資料まで、見て学ぶことができる。屋外には現役を引退した海上自衛隊の航空機も展示されている。
平和学習ガイドと一緒にバスで移動し、川東掩体壕(えんたいごう)を視察。空襲から戦闘機を守るために作られたシェルターで、笠野原飛行場近くに造られたものだ。
串良(くしら)基地跡の地下壕第一電信室では、当時のモールス信号を再現した音を聞くことができる。この地下壕は同基地から飛び立った隊員から最後に、突撃直前の通信を受けた場所。その説明に参加者は真剣に耳を傾けていた。
同基地からは終戦まで363名の特別攻撃隊員と210名の一般攻撃隊員が飛び立ったという。旧海軍串良航空隊出撃戦没者慰霊塔では、手を合わせて視察を終えた。
鹿屋の平和学習では戦争の歴史を知り、平和と命の尊さを考える。また戦跡を見学し、当時の状況を学び、思いやりの心や友達・家族との絆を育むという。史料館は無料で最大80人まで収容可能であり、それを超える場合は要相談。要望があれば自衛隊OBによる講話も用意されている。
桜島へは鹿児島港からフェリーに乗船。船上から噴煙が上がる雄大な桜島の景色を間近に見ることができた。上陸後はジオパークの拠点施設・桜島ビジターセンターでビデオを見て火山の知識を得る。
館内見学では、火山研究の博士号を持つ専門家から、噴火の歴史や溶岩大地の植生について解説を受けた。屋外の溶岩を見て、火山の島であることを実感。続いてバスで有村海岸に向かった。桜島が北岳・南岳という2つの火山が合体してできていることを、車窓から確認できた。
海岸は温泉掘り体験ができるほか、江戸・大正・昭和時代の溶岩が識別できる。さらに植生遷移を観察できる貴重な場所でもあった。
桜島は島内全体が天然の博物館だと言える。NPO法人桜島ミュージアムには、火山トレッキング、協調性を育む「ジオアドベンチャー」(地図とコンパスを使いチェックポイントを回るチーム競技)等様々なプログラムがある。同プログラムの最大受け入れ人数は200人。雨天時には屋内の代替プログラム「リアル脱出ゲーム×桜島」も用意されている。
養殖生産日本一を誇るカンパチの餌やりや加工・試食は鹿児島ならではのブルー・ツーリズム(漁業体験)。鹿児島市中心部は歴史学習施設が集中し、徒歩や路面電車等で班別学習が可能。
鹿児島からバスで宮崎へ移動。農家民泊「北きりしま田舎物語」の視察へ。現地は宮崎空港、鹿児島空港からそれぞれ約1時間弱(高速道路利用)という好位置にある。
北きりしま田舎物語推進協議会メンバーの歓迎を受け、まず公民館前で薪割りに挑戦した。体験者からは「斧が重い」、「割った瞬間、手に衝撃が響く」など、実体験ならではの率直な感想が聞かれた。
続いて餅つき体験では、子供たちも喜ぶという蒸した餅米を試食。臼の中で餅米をつぶし、いよいよ餅つき体験へ。「音がいいね」、「腰が引けているよ」など的確なアドバイスがあり、結構楽しそう。ついた餅はお汁粉で味わった。昼食は「煮しめ」、サツマイモのかき揚げ「がね」などの郷土料理が並んだ。民泊体験では、これらの郷土料理なども学べるという。
同協議会は2市1町(小林市・えびの市・高原町)の広域で農家民泊に取り組んでいる。民泊農家は、旅館業法に基づく簡易宿所営業の許可を取得。最大受け入れ数は170名。約90名の受け入れ可能な西都市と分かれての民泊なら最大260名まで可能。子供たちは農業体験など様々な田舎体験を通して、出会いや感動、絆を得る。雨の日は、障子貼りなど暮らしの体験もするそうだ。
また安心・安全の受け入れを目指し、「浴室と食品の衛生講習会」「救命救急講習会」「リスクマネジメント講習会」などの研修も実施し、受け入れ農家のスキルアップも図っている。楽しく体験ができるよう、アレルギー・持病などのヒアリングシート、自己紹介カードで、事前情報交換も学校側と行っている。
また「お土産は渡さない」などの協議会ルールもある。「熊本と鹿児島の県境という使い勝手のいい場所にあるので、上手に利用していただきたい」と同協議会の事務局は語っている。
宮崎市は2021年度までの教育旅行補助制度として、同市内で宿泊する学校に一人当たり3000円、体験学習費2000円を上限として補助。西都市、高千穂郷、延岡市も独自に設けた補助制度がある。
宮崎県境から約1時間のバス移動で、熊本県・人吉海軍航空基地跡の「ひみつ基地ミュージアム」に到着。平和・震災学習の視察に臨んだ。
熊本県南部の錦町。人吉盆地の山中に残る数々の地下施設。そこに建つ「ひみつ基地ミュージアム」(人吉海軍航空基地資料館)を視察。展示室では、太平洋戦争の終戦間際に建設された理由や目的などが、残された資料や体験者の証言などで学べる。またガイドの案内で地下施設等関連遺構も見学できる。
視察会では2班に分かれ地下魚雷調整場と展示室を交替で見学したが、教育旅行では4クラスの班分けで最大150名まで受け入れ可能。余裕があれば地下の作戦室・無線室・兵舎壕などを巡るオプションも有意義だ。
熊本県のほぼ中央に位置する益城町にある交流情報センター(ミナテラス)で、「NPO法人益城だいすきプロジェクト・きままに」代表理事から、熊本地震と復興後の状況を、自身の体験を交えながら聞いた。
その後断層のズレが分かる現地を見学。「手前の土地は地震の影響が少なく、向こう側の住宅地は大きい。家が震災前の4割しか残っていません」と語り部の永田忠幸氏が説明した。横ズレが2・5mある。2つの断層が交差しているポイントをボーリングしたら、地震頻発地帯だと分かったという。
「ここで生徒たちに話すのは、詳しい断層の説明ではなく地元に古くから伝わる大蛇伝説。昔の人は山に向かって走っていた大きな亀裂を大蛇に見立て、伝説に残しました」(永田氏)。近くの寺は竜池山、その他モグラ、ナマズ等の地名が残る地域だ。災害の記憶が残る現場から、先人の知恵に学び常に災害への備えを万全に、心の持ち方も大事だと伝える益城町の震災プログラムだ。
震災復興のシンボルとなった熊本城。隣接する「熊本城ミュージアム」(わくわく座)で、館内の展示室とシアタールームを2班交替で見学。熊本城の地震の被害状況を学んだ。展示室の「熊本城被災・復旧プロジェクションマッピング」は、熊本城立体模型に音と映像で被災・復旧の道程を分かりやすく再現。名城の崩壊・倒壊の様子がリアルに体感できる。
約400年前、加藤清正公が7年の歳月をかけて築城した熊本城。被災からの完全復旧までに約20年、634億円かかると予測。しかし実のところ正確な費用や時間は分からないそうだ。
最大震度7の激震を2度も受けた城は、櫓や石垣が崩落、塀も一部倒壊など傷跡があちこちに。現在は復興のシンボルとも言われる天守閣の早期復旧を目指している。
ボランティアガイドの案内で、二の丸広場前を通り加藤神社へ向かう。遠くに見える鯱瓦が載った大天守閣は、屋根の目地漆喰が塗られ、白く輝いている。工事が急ピッチで進んでいる。現在屋根がない小天守閣と併せて2021年春の入場見学を目指している。
石垣にはナンバーが刻まれ、積み場所が分かる仕組み。1日10個積むのが限界。気の遠くなるような作業が地道に進んでいる。神社の境内からは目の前に宇土櫓がそびえ、小天守・大天守が観察できた。
熊本城では、日々変化する工事状況、石垣積みの技術から戦国時代と築城の歴史・文化、防災・環境等、多彩な学びが連想された。
「修学旅行情報ワンストップ窓口」を開設。減災・防災学習プログラムの受け入れや食事・宿泊施設の情報などに対応。目的に応じたプログラム等の情報提供、マッチング等をしてくれる。問合せ=096・333・2334
※一部を抜粋して掲載しています
鹿屋航空基地には中学生と年齢の近い多くの若者が愛する人を思い綴った手紙が多く展示されている。それらを教材として利用することで多大な教育効果が期待できると感じた。いずれ社会に出ていく彼らがどのように生きていくかを考えるきっかけを与えられる施設だった。
「鹿屋市認定鹿屋平和学習ガイド」の利用がお勧め。鹿屋市が正式に認定したガイドで、市内に残る戦争遺跡や歴史を分かりやすく説明してくれます。ガイドがあってこそ充実した平和学習になると思いました。
鹿屋平和学習プログラム、人吉海軍ミュージアム共に、生徒と同じくらいの年齢の兵士たちの気持ちを考えると心が締めつけられる苦しい気持ちになった。私自身、モールス信号を聞いたことがなく、おそらく生徒にとっても初めての体験になり、特攻の時の最後の通信のことを知ることで、貴重な経験になると感じた。
鹿屋航空資料館では、広島・長崎の原爆資料館とは違った戦争の見方ができる。掩体壕や通信基地は戦争当時そのままが残り、当時の状況が想像できた。
航空基地史料館の零戦(復元機)は印象的で、壁面いっぱいに並ぶ特攻隊員の青年たちの写真は平和の尊さを訴えてあまりあるものです。戦争の歴史が風化されるべきではないことを今に伝える鹿屋平和学習は、感受性豊かな中高生の心に強く響くものと感じました。
中原別荘は修学旅行の宿として申し分ない。耐震構造・収容人数・客室・広間・天然温泉・立地場所(班別行動の拠点として適している)等優れている。食物アレルギー対応メニューも安心して任せられる。
桜島は特に活発に活動を続けている火山の1つ。実際に訪れてみると、改めてそのスケールに驚かされる。風向きによっては灰も降るし、夜に眺めたら赤く火の粉を散らしている姿も見られるかもしれない。噴火は頻繁で大きい噴火が起これば地響きもある。目や耳や肌で火山を感じるというのは私たちの身近では経験できない。
私たちが住む地域には絶対にない活火山(桜島)の存在。バスの車窓からも噴煙が上がるのが間近に見えたし、その噴煙が刻一刻と形を変え、空高く舞い上がるのは壮観としか言いようがない。地元の人に尋ねると、噴煙が上がることが日常で、噴火とは言わないとおっしゃった。それこそ私たちには非日常との出会いであった。
雄大な桜島の現状と近隣に生活する人々の生活環境等を改めて学習致しました。館長の説明も分かりやすく、生徒達のグループ学習等も現実的で、楽しみながら学習できそうです。
子供たちの聞く力や説明する力が低下している。農業体験などで現地の方々と交流することで、コミュニケーション力の育成を図ろうと考えています。北きりしまの民泊事業を進める方々の熱意と、子供たちへの思いにとても素晴らしいものを感じ、子供たちが大きく成長してくれることが期待できる。
修学旅行の民泊について事前指導から受け入れ体制、緊急対応、すべてが完成されている。前任校でお世話になり、たった1泊だったがお別れのセレモニーが感動的だったのを思い出す。受け入れてくださる民家の方々の人間性の豊かさが北きりしま全体にあふれている。
「北きりしま田舎物語」は、修学旅行の受け入れに強い熱意をもって取り組んでいる。コンセプトが明確で、安全対策や農家のスキルアップに徹底的に取り組んでおり、安心して任せられる環境が整っている。200人規模で受け入れが可能であればぜひ検討したい。
民泊が生徒によい想い出になったことを他の場所で経験しているので、今の学校でも体験させたい。北きりしまの関係者の方々の素朴で温かいおもてなしはとても心に響きました。生徒が出会い・体験・感動・絆を感じることができると確信。
北きりしま地域での郷土料理は食を考える時間でもありました。地域の衣食住に関わる体験を通して地域の方々と交流することは、生徒が今、生活している地域での生活と違い、普段は味わえない、とっておきの感動体験になることでしょう。
「はじめまして!の後は、もう家族」を合言葉にした北きりしま田舎物語での受け入れがとても興味深く感じました。さまざまな農作物の手入れや収穫が体験できるのは、中学生にとって、農業や食のことを考えるきっかけになると考えられます。
修学旅行の経費には上限が定められている学校が多い。宮崎市をはじめとする補助金制度は生徒の活動範囲を大きくする。事前事後学習に対する出前授業や教員の修学旅行地への下見にかかわる補助事業等の充実を望みたい。
熊本地震は未だに風評被害をも作り出していると思う。現状を確認するためにも、との思いで今回参加させていただいたが、結論的には、その影響を感じることは皆無で、安全を確保できるとの確証が得られた。また現在も継続中の復興への取り組みにこそ学ばせていただくことが多いと感じた。
今回は益城町と熊本城の復興を見学しました。避難所の人々の助け合う姿を知り、断層のズレを認識して復興を祈るとともに、もし自分たちの土地だったらと想像を膨らませます。ガイドの方は「ここでのこととしてとどめないで」と訴えていました。
都内にも防災センターなどがあり、修学旅行で震災について学ぶ事に疑問があった。しかし実際に視察すると、震災の怖さや震災後の取組について深く学ぶことができるだけでなく、人との関わり方や生き方まで学ぶことができるため、是非とも生徒に体験してもらいたいと強く感じた。
益城町の交流情報センターで震災当時の状況や小学校体育館での避難所生活の実際を伺いました。印象深かったのは、避難所生活で自主的に暮らしを支える工夫。「できる人ができることをできる分だけ」という理念で避難所のコミュニティを維持、現在も活かしているといいます。プログラムは実りある内容になると予感しました。
熊本城では、石垣を修繕するのも1日に数個しか行えず、復旧までには相当年数がかかるようである。それでも着実に復元していこうとする姿を、生徒だけでなく全国の人々にも見ていただきたいと思った。
わくわく座では視覚的に学ぶことのできる資料が多く、生徒にとっても学びやすい場になるのではないかと感じた。熊本城が被災し、崩落している状態から復旧していく姿を生で見ることができ、歴史・防災の複合的な学習ができる素材だ。
人吉海軍ひみつ基地ミュージアムは新しい施設で、展示のスペースは少し小さめでしたが、地下施設の見学は興味深いものでした。当時の人たちが灯火管制や爆撃から逃れ、洞窟の中で行っていた作業や生活を考えると戦時中の人々が不安な毎日を過ごしていたのを知ることができます。
人吉海軍ミュージアムと地下施設の見学をさせていただいた。かなり大きな地下壕で、飛行機の組み立て作業や格納、時期によっては基地としても使われたらしい。ミュージアムは小規模だが、展示内容からは熱意が伝わってくる。小規模な学校であれば活用できるだろう。
教育家庭新聞 健康・環境・体験学習号 2019年2月18日号掲載