抑留先からスケッチブックを持ち帰った93歳の安田清一氏 |
第12回ユネスコ記憶遺産国際諮問委員会の審議を経て、ユネスコ事務局長決定により、「舞鶴への生還」及び「東寺百合文書」が、ユネスコ記憶遺産として認定された。
京都府舞鶴市が申請した「舞鶴への生還 1945~1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」は、第2次世界大戦後に旧ソ連領に抑留された日本軍人と民間人たちの抑留生活と、日本本国への引き揚げの歴史を伝える資料。日誌やメモ帳、スケッチブックなど570点だ。
記念館リニューアル
平和学習の活用強化
日本各地に引揚港があったが、昭和25年以降は舞鶴港が唯一の引揚港として、33年まで引揚者66万人と遺骨1万6000余柱を受け入れた。最も長く引揚者を受け入れてきた街として、世界に平和の尊さを伝えたいと開館した「舞鶴引揚記念館」には、約1万2000点の資料を収蔵。
修学旅行等で活用できるセミナールームを増築 |
今年9月28日には世界遺産登録よりひと足先に、記念館をリニューアルオープン。戦争を知らない世代にもわかりやすい展示を施し、平和学習に利用するセミナールームを増築。修学旅行や校外学習に役立ててほしいとしている。
今回世界遺産に登録された資料の一つであるスケッチブックを描いた安田清一さん(93歳、東京在住)は、ソ連側に指示され絵を描いていた。余ったスケッチブックと絵の具をもらい、現地の様子を描いた。
帰国時の荷物検査では、偶然にも検査を免れスケッチブックと共に帰国。「1945年12月1日に入った収容所は、頭からツララが下がっていた幕舎で、地獄だと思った。登録されることで社会に”引揚”を再認識してもらい、平和に心を向けてほしい」と語った。
【2015年10月19日号】