8月に開催された「第43回全国学校図書館研究大会(オンライン大会)」(主催=公社・全国学校図書館協議会)の柴田教授の講演を本紙9月19日号に引き続き紹介する。業務や学習の際の「読み」は、デジタルと比較すると紙の方が操作性が良いことが実験によって明らかになった。インターネットの出現により、人々の「読み方」そのものが変化する中、子供の読む力をどのように育てていければ良いのだろうか。
紙か、デジタルかの対立構造は、分かりやすいのですが、単純化しすぎです。
「読む」行為は、「読む」という言葉1つで表現されていますが、実際には色々あります。状況を細かく分類し、最適な道具を使い分けていくことが必要です。
スマートフォン、タブレットPCは色々な機能があり何でもできる。例えるならアーミーナイフ(万能ナイフ)です。何でもできて便利ですが、何をするにもベストなツールではありません。携帯性のために使いやすさを犠牲にし、小型化しています。自宅で夕食を作る時に万能ナイフを使う人はいません。包丁などを使い分けます。
読むことと対峙する時も、目的や状況に応じて最適なものを都度選び分ける。これが道具にこだわる人間の生き方ではないでしょうか。
読み書きでのメディアの使い分けについて、現状でわかることは表の通りです。
インターネットの普及による、人の読み方に関する調査(2005年、Liu博士)があります。2003年の段階で、斜め読み、拾い読みなどの「浅い読み」は圧倒的に増えていますが、深い読みは減少しました。どうやらインターネットは人の読み方を変えてしまったようです。
「浅い読み」は、膨大な情報を目の前に、効率的な読み方として人々が体得してきた、ある意味必要な読み方です。
ただ「深い読み」を投げ出してしまうのは問題でしょう。発達心理学者のメイリアン・ウルフ氏はその著書『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳~「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる』(インターシフト、2020)の中で、人は浅い読みも深い読みも両方できる「バイリテラシー脳」を育成するべき、としています。
デジタル機器を用いた教育への懸念を4つ挙げます。
①教材の比較が困難である。知の体系を確認したり、複数の教材を比較したい、ということが学習では頻繁に出てきますが、タブレットPC1台の中では、複数の教材を比較することが難しい。
②デジタル機器の操作は視覚に依存するため、その扱いにくさが思考を中断させます。読むメディアによって、人の情報の処理モードは変わります。紙では情報をまとめ上げるモード、デジタルでは情報を受け取るモードと、読みのモードさえ変わることがありうるのです。なお、デジタル機器での読みにくさへの対応としては、断片的なテキストを1つ1つ示し、具体的な事象に注意を向ける方が考えやすいようです。
③メニュー、アイコン、カーソル、ポップアップ、さらには誘因性のあるソフトウェア(インターネット検索やSNS)などが注意をそらすことが多い。
④デジタルの活用が「思考モードを変える」ことです。検索が容易だと、他の人の答えを検索することで問題解決をしようとする。学習の場面で、子供たちが問題解決を学ぶのではなく、検索による方法を学んでしまう可能性があります。
デジタルの多くのアプリケーションでは即時にフィードバックがされます。社会の問題も、数学の問題も、すぐに正誤判定できます。そしてフィードバックは紙での作業よりも圧倒的に多い。そのために子供がじっくり考えられなくなってしまうとすれば大きな問題ですし、例えばデザインのような正解のない問題には耐えられなくなってしまいます。
私が大人の「読み」について調べた結果をもとに、子供の「読み」について少し意見したいと思います。
デジタル読書の利点の多くは、大人のワークスタイルとして活用されるものではないでしょうか。夜でも買える、暗闇でも読める、といった機能は、子供の読書にとって本当に必要でしょうか。
読字の能力は、意図的に鍛えないと育ちません。子供の時期の読書体験による訓練が必要です。そして子供の読みの能力を育てるためには、現状では読みの阻害要因が少なく、五感を育てる紙の本(知識を塊で捉えたり、操作しやすいモノとしての本)の読書を基本とし、デジタル機器は必要に応じて補助的に利用すべきだと思います。
デジタル端末が備える辞書機能やマルチメディアコンテンツの再生機能は魅力的です。しかし紙の補助ツールとしても利用可能です。
もちろん英語の単語の発音を何回でも繰り返し聞くことができるなど、デジタルの利点は多くあります。そうした利点を本当に活用しているのかということも、改めて考え直す必要があると思います。
教育家庭新聞 健康・環境・体験学習号 2022年10月17日号掲載