2000年以降、教育ICT機器は教員のためのものとして開発が進んでいきました。この時期にICTに触れているかいないかで、今の環境の利活用状況は変わります。
これまで整備してこなかった自治体や学校では「急に端末が子供に届いた」と戸惑いが大きく、追いつくのに大変であるという状況があります。
また、当初50㌅が主流だった大型提示装置は65㌅が主流になりました。今から導入する学校は、大きいものを選択しているはずです。
大きく映すことで理解が進む「大型提示装置」も、一番後ろの席に座っている子供の場合、手元の端末で自ら拡大するほうが、前方にある大型提示装置よりも大きく見える、ということも起こっています。
「体験が重要」とされている理科の実験も、1人ひとり端末を持つことで、動画教材等により事前準備をより注意深く行うことができ、かつ実験を自ら撮影し、その後繰り返し見ることで、学びが深くなっていきます。
ICT活用と授業改善のポイントは、子供に委ねる割合を増やすことです。授業の流れを示して展開を次第に子供に任せていくのです。
ICTについて「教員が理解・コントロールできる範囲でのみ与える」という制限は、子供を活かす学びの可能性を阻害します。
子供が教員の操作スキルを簡単に飛び越えてしまうことに不安を感じるかもしれません。しかしピアノや水泳など、教員より長けた子供はたくさんいます。ICTも同様です。むしろ教員は、校務の情報化等で日々の活用に慣れることを通して子供たちの感覚に多少なりとも追いつけるかもしれない、という程度であると納得することです。教員も、子供から学び取る力が求められます。
「学び取る」力の育成を目的として1人1台端末やクラウド活用が進んでいる学校では、意見交換や討議などアウトプットする場面に授業時間の多くを割くようになります。
ある高校の現代文で生徒は、複数の詩人が「人」「生」をどのように見て表現しているのかという課題について、個人でまとめてからグループで話し合って考えを深めていました。日本史では、歴史上の人物について班内で話し合いながら端末上の共有アプリで整理・分析をしていました。その間、自由にインターネットで検索して調べており、制限は一切されていないようでした。
このような学びを高校時代に経験している子供は、大学でも学びを自ら構築していくことができます。そして大学入試では、そのような力を持つ子供を入学させたいと考えて入試が実施されています。
キーワードは「自己決定」「自己調整」「相互啓発」です。
すべての子供に同じ授業を提供することが「正解」ではありません。また、すべての学校を同じ環境にすれば公正になるというわけではありません。ドリルが必要な学校、様々なコンテンツに自由に出会う環境が必要な学校など、学校により様々であって良いのです。
重要なのは、各校に必要なものを自由に選択できるようにすることです。それが教育委員会の役割です。