昭和12(1937)年から10年間、国定教科書の国語の教材として「稲むらの火」の逸話が使用されていた。その後、検定教科書の時代になっても、一部の教科書に多少の修正を加えて採録されていたが、1960年代に完全に姿を消してしまった。
「稲むらの火」の逸話は、安政元(1854)年の安政南海地震津波に際して、紀伊国広村(現・和歌山県広川町)で起きた実話で、地震後の津波への警戒と早期避難の重要性を説いたものである。内容は以下の通りだ。
「村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じた後、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神により村人たちが津波から守られた」
ここに登場する五兵衛とは、ヤマサ醤油7代目当主の濱口梧陵のことである。
東日本大震災4周年追悼式において、上皇陛下も「このたびの大震災においては、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切かを学びました。こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝え、より安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であります」と述べられている。
東日本大震災後、津波からの復興や国民の津波防災への意識向上のために、平成23(2011))年6月、国会で「津波対策推進法」が制定される。そして「稲むらの火」の逸話にちなみ、安政南海地震津波が起きた旧暦の11月5日を「津波防災の日」と定められた。続く平成27年3月、宮城県仙台市で国連の第3回世界防災会議が開催され、日本政府から「津波防災の日」を「世界津波の日」とするように各国に働き掛けを行った。
その結果、同年12月22日の第70回国連総会本会議において、国連加盟国すべてが賛成し「世界津波の日」が制定された。梧陵が村人の命を救った「11月5日」は、「世界津波の日」として世界の人々に広く認められるようになった。
東日本大震災から10年以上が経つが、未だに多くの場所で被害の傷跡が残り復興の途上にある。一方、被災地以外の地域では震災の記憶の風化が進んでいる。震災の記憶の風化を防ぎ、教訓を後世に伝えていく努力が必要である。
教育家庭新聞 健康・環境・体験学習号 2024年11月18日号掲載