日本における文字に書かれた最古の地震記録は『日本書紀』に登場する。允恭天皇5(416)年に「五年秋、七月丙子朔、己丑、地震」とある。この地震記録は、ただ「地震」とあるだけで、いったいどこで起き、被害の規模がどの程度だったのかを推測することはできない。
被害を伴った地震として記録されている最古のものは、同じく『日本書紀』に記録されている推古天皇7(599)年の大和地震だ。地震は古語で「なゐ」と呼ばれていたが、「なゐふりて、舎屋悉く破たれぬ。則ち四方に令して、地震の神を祭らしむ」とある。家屋がみな破壊されたというのだから、かなりの揺れだったのだろう。
『日本書紀』には、これ以後もたびたび地震の記録がある。6世紀なかば以後は自然現象について実に詳しく記録されている。例えば、天武天皇13(684)年には、彗星が北西の空に出て長い尾を引いていたという記述があり、計算してみると、これは日本最古のハレー彗星出現の記録であることが分かる。
この年に発生した日本最初の巨大地震の記述も『日本書記』には残されている。現在の高知県の沿岸で、田畑が五〇余万頃(約12平方キロメートル)、沈下して海になったというもので、明らかに地殻変動のあったことを意味している。
さらにこの後、土佐の国司からの報告として、南岸一帯に大津波が襲来し、貢物を運ぶ船がたくさん流されたという記述が見られる。被害の大きさ、地殻変動、大津波などから総合に判断すると、この地震は安政元(1854)年の安政南海地震や、昭和21(1946)年の南海地震とほぼ同じ、南海トラフを震源とする巨大地震だったことが推測できる。のちにこの地震は「白鳳大地震」と命名された。
『日本書紀』以後の数々の文書にも、地震や火山噴火にまつわる記述が続々と登場する。
富士山の噴火ひとつをとってみても、古くは『万葉集』に詠まれ、平安時代になると『日本三代実録』のような史書のほかに、さまざまな文学作品に登場する。平安文学を代表する『更科日記』や『竹取物語』には、富士山の活動が続いている状況を描写した文章がある。歴史時代になってからの富士山最大の噴火といわれる貞観6(864)年の貞観大噴火については、『日本三代実録』の詳細な記述と地質学的調査によって、噴火の全貌を知ることができるようになった。
先人たちが残した史料は、現代に生きる日本人に様々な災害の恐ろしさを教えてくれるだろう。
教育家庭新聞 健康・環境・体験学習号 2024年10月21日号掲載