昭和の終わりから平成の初めの時期は、校内暴力が社会的問題としてクローズアップされた時代でした。特に対教師暴力が酷く、同僚にも病休・休職者が多数いました。病休・休職を予防する手立てを科学的アプローチに基づき研究して、学校現場に還元する教員が一人くらいいても良いのではとの思いが募り、意を決して教職を辞し大学院受験を決意しました(当時は今のように内地留学等の制度がなかったので)。
といっても、いきなり大学院入学がかなうほど甘い世界ではなく、一年間はお世話になりたい教授の講義を聴講生として受講し、院生が試験の傾向と対策を手ほどきして下さったおかげで、退職2年目で大学院生になれました。
当時の自分は、生まれたばかりの長男を抱え妻も産休中で、収入が途絶えるわけにはいきません。大学院の授業料、東京から筑波までの交通費、家庭にも決まった生活費を入れること等の約束をして大学院に行くことが出来ました。大学院を修了した後は教員に戻る想定でしたが、大学院では素晴らしい人たちとの出会いがあり、導かれるように予想外の方向に人生が展開していくのでした。
■人々との出会いが宝物
大学院の研究室では最初は違和感で一杯でした。幸いなことに院生が素晴らしい人たちで、修士論文の〆切に合わない時などは、院生総出で流れ作業のようにお手伝い頂き、〆切3分前に提出できたことは今でも奇跡としか言いようがありません。その頃の院生の方々は皆さん大学教授となりご活躍されています。
大学院時代の先生2人との出会いが忘れられません。1人は私の指導教官であった森昭三教授、もう1人は私を今の仕事に導いてくださった國分康教授です(お2人とも既にお亡くなりになりました)。
森先生は物静かで口数が少なく、いかにもジェントルマンでした。いつも時間がある時は読書をしていたのが印象的でした。ある日のゼミの時間、私の机の端に5冊の本が無造作に置いてありました。私はたぶん他の院生の忘れ物だと思い置かれた本を見てみると、いずれも私が研究テーマにしていたメンタルヘルスに関するもので、すべて森先生の蔵書でした。それまで教員のプライドが邪魔をして、積極的に質問したり出来ない自分を見せるのをためらったりしていた私は、顔から火の出る思いがしました。そのことをきっかけに教師の殻を破り、気持ちを新たに本当の意味での研究生活に入れました。
院生当時は健康教育学専攻という研究室に在籍していたのですが、一方で他学部の、東京都で教職員のカウンセリングを長年されてきた國分康孝教授にお会いしたいという思いがあり、ある時、國分先生の研究室を訪ねてみました。
アポなしで訪ねた私を笑顔で快く迎えてくれた先生に、教員のメンタル予防の研究を目的に教職を辞して大学院に来ていることなどをお話ししました。すると東京都の教職員相談室で先生と一緒に働いている相談員が私の恩師だということが判明したのです。
それ以来、國分先生の講義を受けさせていただける機会にも恵まれました。そんなある日、國分先生に「土井君、10年頑張れ。10年後には教員のメンタルヘルスが大問題になっている」とかけられた言葉が、教師のメンタル予防に関する研究実践への思いを後押ししてくれた気がします。
■後進の育成が今後の目標
この道に携わり30年以上、一貫して思うのは「自分の経験や技術、存在そのものが相手の成長や幸せに貢献できた時に、自分も幸せを感じられる人間でありたい」ということです。その一方で今も、人の話を聞くことを通して「相手から学ぶこと大切さ」や「寄り添うことの難しさ」「待つことや見守ることの大変さ」を痛感しています。
現在は順天堂大学で教育相談を教えると同時に、埼玉県川口市教育委員会を拠点に教職員メンタルヘルスチーフカウンセラーとして活動しています。今後の目標は後進の育成です。
①公認心理師や各団体が認定している資格を有している方、②教育現場での経験がある方、③年齢は40歳以上が望ましいという条件を満たす方で、教職員専門のメンタルヘルスカウンセラーに関心がある方は、ぜひ下記までご連絡下さい。
大学院在学中より、茨城県をはじめ全国各地の教育委員会や養護教諭部会から講演依頼を頂きました。関係各位にはこの場を借りまして感謝申し上げます。また、10年間私のコラムにお付き合い下さった読者の方々に心よりお礼申し上げます。最後に、私の稚拙な文章の手直しを含め、毎回原稿の完成にご尽力頂いた教育家庭新聞社・編集部には大変お世話になりました。
(完)
連絡先=土井一博(ddkazuhiro@yahoo.co.jp)
教育家庭新聞 健康・環境・体験学習号 2024年3月18日号掲載