同じ学校に勤めているのに、落ち込む教員と落ち込まない教員がいます。その違いはどこから来るのでしょうか。今回は、自分自身で行えるメンタル予防のチェックポイントをご紹介します。
最近ではよく「セルフ・ケア」ということばを耳にします。「ケア」という言葉には、ポルトガル語で「悲しみを共にする」という意味があり、自分で自分をいたわることも人間にとって大事な営みです。ここでいう「自分をいたわる」過程において「自分と向き合う」という作業が必要になってきます。
しかし、自分と向き合うことは何らかの”痛み”を伴うために、なかなか実行できないのです。そこで、本稿ではその痛みの一つである「劣等感情」を乗り越える手立てとして、以下の3点について考えてみたいと思います。
第1は”いつ”の時期の自分を基準に考えるかということです。ありがちなのは、「絶好調の時の自分」を基準にしているため、いつまでたっても現状の自分に満足できず、「何でこんなことができないのだろう」と”劣等感情”から脱出できない人がいることです。
なぜ、絶好調の時の自分を追い求めるのか。その原因の一つには、絶好調時の自分を「周囲の誰もが認めてくれた」という”快感体験”が伴っているからです。ここで勘違いしてはいけないのは、「絶好調の時の自分しか、周囲の人は認めてくれない」と思い込まない(受け取らない)ことです。
人間ですから常に絶好調でいられるはずはありません。朝起きた時に、頭が痛い、吐き気がするなど「こんなはずではなかった」と体調の優れない日もあるでしょう。そんな時には「今日の自分はこういう自分なんだな」と”今”の自分を受け入れることからスタートしてみて下さい。どんな時の自分でも(絶好調の自分でなくても)受け止めてくれる人は必ずいますから、安心して他人に”もたれ掛って”みてください。
劣等感情から抜け出せない2つ目の要因は、「他人を基準にして」比較をしていないかということです。人間が落ち込んでいる時には、意外と「他人を基準にして」いる場合が多いのです。もちろんスポーツなどの記録や順位を争う競技では、他者と比較することが大切になってきますが、こと人間関係においては、他者との比較よりも、「去年の自分に比べてこんな点が成長したな」とか「4月の時よりも随分頑張れるようになったな」というように、自分自身で「自分の成長を感じる目を持つこと」が劣等感情から抜け出せる”糸口”になることもあるのです。
また、新任教員との面接の中で、「周りの先生と同じように仕事ができない」”だから”「私は教師失格だ」と落ち込んでいる人を見かけます。ここで問題なのは、どうして、”だから”という接続詞を使わなければならないのかということです。
例えば、「周りの先生と同じようにできない」”しかし”「保護者からの信頼は厚い」のように、接続詞を”しかし”に変えるだけで、その後の文章記述がポジティブなものに変わってくるのです。
つまり、落ち込む人の特徴として、論理的必然性のない「だから」という接続詞を無意識に使って、ネガティブな発想のスパイラルに陥っているのです。他者から褒められることが少ない時こそ、「自分で自分を誉めてやる」こともメンタルケアには大切です。
執筆=土井一博(どい・かずひろ)日本教職員メンタルヘルスカウンセラー協会理事長、川口市教育委員会学校教職員メンタルヘルスチーフカウンセラー、順天堂大学国際教養学部客員教授(教職課程)
教職員のメンタルヘルス連載を担当している日本教職員メンタルヘルスカウンセラー協会が、初めての研修会となる「教職員メンタルヘルスカウンセリング講座 ベーシック研修」を8月7日に埼玉県川口市で開催する。
講座の対象者は、教員関係者・産業カウンセラー・スクールカウンセラー等で、教職員のメンタルヘルスカウンセリングに興味を持つ人。
当日は、管理職経験者による「学校組織の理解」「管理職のメンタルヘルスの現状と対応」、教職員のメンタルヘルスに携わる担当者による「教職員メンタルヘルスカウンセラーの役割」・「教職員メンタルヘルスカウンセリングの実際、事例検討」「教職員のための職場復帰プログラム」、養護教諭や栄養教諭、事務職員など「1人職のメンタルヘルスの現状と対応」にも触れ、あらゆる立場の教職員のメンタルヘルスを取り扱う予定だ。
講師は元川口市内校長の坂本大典氏、同協会理事長の土井一博氏、会長の鈴木隆広氏、杏林大学教授の亀崎路子氏、埼玉県立大学准教授の上原美子氏が務める。
【2014年6月16日号】