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教養とは「カタ」の教育

国際基督教大前学長 絹川 正吉氏
鳥海十児氏の写真

 国際基督教大学前学長の絹川正吉氏は、「大学教育の構造改革」をテーマに本質的な学びを作る、学生のための大学改革について、語った。

前提となる『学生像』とは?

 学生のための大学改革について話すように事務局から言われたが、そう言われると、いつも間にか自分達のための大学改革をしてきたのではないかという自警の念がある。そうしたことを考えるきっかけになったのは、私大連盟が行った全国の学生を対象にした調査である。横軸が学問への満足度、縦軸が人間関係の満足度で、それぞれの学生がどこに位置づけられるかを調べたところ、学生は全平面に広がっていた。私たちは、どの学生を対象にものを考えていくのか。中教審はいろいろ答申を出すが、その答申を作るときの前提となる学生像は何なのか、ということは非常に問題である。全平面に広がっている学生を一元化して、議論して有効性があるのか。

さて、学生に対してあなたは大学生なのだから、自主的に勉強しなさい、ということは裏目に出ている。という河内和子氏(慶應大学)の表現が非常に深刻だと思う。学生は遊んでいるばかりいるのではない。遊ばされていると感じている。多くの授業で課題や宿題義務を与えておらず、過去問の答えを暗記すれば試験にパスしてしまうとった状況がある、という。

教養とは『カタ』の教育

 さて、ユニバーサル型になり、極度に学生の多様性が出ている。私はむしろ「バラバラ」といった方がいいと思っている。島田博司氏(甲南女子大学)は、学生の学習態度はかつてのエリート時代には技を盗む(steal)、マス型の時代には、講義を受ける(learn)だった。ユニバーサル型の現代は学習形態はenjoyになっているとし、その教育形態は、training↓teaching↓care&cureに変化した、という。

  前述の満足度空間の学習に満足していない層が問題になる。こうしたバラバラな学生に対して、どういうふうに意味のある教育をすればいいのか。

  いかにユニバーサル化時代であっても、その根底にあるのはスカラーシップ(学識)である。アメリカのBoyerは、大学教育は、教員の理解と学生の学習とに橋渡しをする類推や隠喩や概念を含むダイナミックな努力であるとし、相互にダイナミックな関係を持つべき、とした。
  私は、「学術基礎教育」を提唱しているが、それはいわゆる「教養」教育ではなく、知識だけの教養教育はむしろやめるべきである。

  久保正彰先生(日本学士院院長)は若い頃、ハーバード大学に学んだ経験をこう語っておられる。「教養教育は、聞く、読む、書くという技術訓練である。ただ完全に『読め、読め』といって読まされ、『書け、書け』といって書かされ、耳と目と手をくたくたになるまで使うというのが、リベラルアーツの経験である」「教養教育というのは、教養というありがたい教えを耳で聞いて覚えこむというのではない」。(鈴木佳秀・葛西泰徳 編「これからの教養教育〜「カタ」の効用」)
  どうも私たちは、このへんのところの捉え方が問題だったのではないかと思う。

ICUの英語教育

 ICU(国際基督教大学)では英語教育を通して、クリティカル・シンキングを徹底的に訓練する。前述のハーバードの教育も、この「カタ」の訓練である。かつての教育はカタの訓練だった。このカタの訓練が崩れてしまったところに問題があった。

  クリティカル・シンキングは中教審の答申の中でも記述され、初年次教育のテーマの1つになっている。ただ、初年次教育で批判的に考える、と言っても身につくはずがなく、訓練、カタの習得が必要になる。

  ICUでは英語で「シンキング」。つまり「考える」ことと「読む」、「聞く」、「書く」、「話す」の4技能は密接に循環していて、これらの技能を統合したカリキュラムを実践している。
  授業は講義と約20人に分かれてのグループ学習と、チュートリアルの構成で行っているが、一番大切なのはグループ学習である。

  学生はセクション(約20名単位)に属し、セクション・メイトと1週間14コマの英語で授業が行われるクラスに参加する。そして、セクションごとに担当教員がつく。

  クリティカル・シンキングは情報や知識を鵜呑みにせず、複数の視点から注意深く、論理的に分析することを実践させることで、学生は常にクリティカル・リーディングを実践しつつ読むことが促される。そして、クリティカル・リーディング日記・Reaction Journalに疑問点を書き留め、内容についてコメントする、同意点、否定点を書き留める、自分の意見をまとめるといった作業を毎日させる。

  Reaction Journalをもとに、学生は自分の考えや疑問をセクションで英語で発表したり、ディスカッションしたりして、クリティカルな「読み」を「聞く」「話す」のスキルに統合させていく。

専門ある教養人へ

 私は専門教養科目の創作を提唱している。寺崎昌男氏(立教大学調査役)は、「教養ある専門人」から「専門ある(専門性に立つ)教養人」への発想の転換が必要だ、と言われている。学士課程は「専門性に立つ新しい教養人」の育成が目標と言われているが、これは私の提唱する専門教養科目の創作と関連している。

中教審が昨年9月に審議経過報告「学士課程教育の再構築に向けて」、3月に答申し、各専攻分野を通じて培う「学士力」を提案している。その内容は1知識・理解、2汎用的技能、3態度・志向性、4統合的な学習経験と創造的思考力で、汎用的技能にコミュニケーションスキルも入ってくるが、私が注目するのは3番目の態度・嗜好性(自己管理力、チームワーク・リーダーシップ、倫理観など)でこうしたことも大学教育のアウトカム、学士力として求められてくる。 

『講義』を止めよう

 今大学がこうした能力の育成に本気で取り組んでいるのか。テーマとしては「人格の完成」といったことを掲げている日本の大学もあるが。こうしたことを考えたとき、米国(ウィスコンシン州)にアルバーノ大学という小規模の女子大学では8つの能力を定義している。問題はその能力をどうやって伸ばすかということで、全教員は従来の学問分野ごとのデパートメントに所属し専門科目を教えると同時に、8つの能力の内容、教授方法、査定方法の開発に責任を持つ8つの「能力デパートメント」のいずれかに所属している。

例えば、数学を教える中で第2の能力や第3の能力を養っていく。アビリティと伝統的な学問分野を交換させる中で、専門科目の教育をしていく。

次の結論は「講義」を止めよう、ということである。聴衆の集中度は授業開始5分がマックスになり、その後は下がっていく。米国のデータによると、講義の学習効果は5%しかない。今後は大学の種別化、そして教員の種別化が必要である。


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