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8月20日号の本連載で、いじめ問題の根底には「不安」があるということを、臨床心理士の向後氏から聞いた。それは大人も子どもも同じ。むしろ大人社会の歪んだ構造が子ども社会に影を落としているといってもいい。なぜこんなにも社会に不安が蔓延しているのか、それは日本人のメンタリティ、歴史までも紐解かなければ解明できないようだ。引き続き、向後氏の分析を聞いた。(レポート/澤邉由里)
‐前回、いじめの根底には「皆と同じでなければ不安」という心理があると聞きました。しかし日本ではある時期から「個性を尊重する」ということが声高にいわれています。この矛盾についてどう思いますか。
個性を尊重することが大事だといわれ始めたのは、1990年代後半ごろだったでしょうか。ある討論番組で、大勢の教師が「これからは個性化の時代だ」と口々に言っていた記憶があります。そのころから日本では、深夜から朝まで著名人が討論したり、政治家が複数で議論するというようなテレビ番組が増えてきたと思います。
しかし、あのようなやり取りは議論とはいいません。罵倒のぶつけ合いです。それで声の大きいほうが勝つのです。日本人は個性を尊重することを、激しく自己主張することと勘違いしているようです。
私は当時アメリカでカウンセリングの勉強をしていましたが、アメリカ人の議論はあのようなものではありませんでした。
‐アメリカ人の議論とは。
日本人の議論ごっことの大きな違いは、お互いの違いを尊重する精神があることです。私が大学院にいたときに、非常に高名な教授に対し、1年の院生が「私は先生の意見に反対です」と発言したことがありました。私はてっきり教授の不興を買うと思ったのですが、教授は「君のセオリーではどう考えるのか」と言って、ディスカッションが始まりました。
最後に教授は「同意には至らなかったが、この問題を違う側面から見られて面白いディスカッションができたね」と言ったのです。
これこそが「個性を尊重する」ということで、それなくしては議論一つできないのです。日本人には、その意味がわかっていない人が多いです。黒と白の陣営に分かれて、何の議論もできないことが多いですね。これもいじめの要素になっていくんです。「私たちと同じ意見でないと駄目。違う意見の者は攻撃する」という構図です。
‐違う意見を持つということは、日本では勇気がいることのようです。
自己が確立していないと、人の意見に流されがちです。2004年にイラクで日本人人質事件があった時、人々はこぞって「自己責任」だと言いました。それは、大手メディアの偏向した報道があったからだと思っています。私はある日、「このバッシングも明日からなくなるよ」と予言しました。なぜかというと、ニュース番組で筑紫哲也さんが、外国人特派員の「日本という国は自由にものを言えない国だとわかった」というコメントを紹介したからです。
大手マスコミが「こうなんだ」と報じると、多くの人はそれにのっかってしまう。しかし海外からちょっと何かをいわれると負けてしまう。自分の頭で思考していないからです。勇気の問題ではなく自己確立の問題です。
‐自己確立ができていない人が増えているということですか。
日本は開国以来、軍事的にも経済的にも成長し続けて、非常に強い国になりました。その分自己愛も肥大していったといえるでしょう。
しかし第二次世界大戦に負けて、その自己愛は完膚なきまでに壊されます。その上、為政者たちは「敗戦」を「終戦」という言葉にすり替えて、現実を国民に見せまいとしました。
さらに、戦時中ヒーローだった軍人を貶め、鬼畜米英とさげすんでいた敵国の文化を有難がって受け入れました。こういう変わり身は日本人の得意技ですが、そこで国民のアイデンティティの崩壊が起こったと思います。こうした歴史が「私はこう思う」と言えない空気を作っていったのかと思います。
‐自己愛という言葉が出てきましたが、それは自己確立につながることですか。
自己愛には、健全な自己愛と病的な自己愛があります。健全な自己愛は、自分に条件をつけません。「自分は素晴らしい」とストレートに感じられます。ありのままの自分を愛しているので、自分の思考に自信を持っています。これが自己確立の基礎になります。
病的な自己愛を持つ人は、自分が空虚です。ありのままの自分が素晴らしいとは思えず、その上に後づけの条件をどんどん重ねて無理やり素晴らしいと思い込もうとします。「勉強ができるから素晴らしい」「有名大学に入ったから素晴らしい」「容姿が優れているから素晴らしい」などです。
しかしこれらの条件は、ともすれば壊れてしまう条件です。条件が壊れてしまうと自己愛が保てないので、壊れそうになるとパニックになって攻撃が始まります。自己確立どころか、これがハラスメントの原因になってしまいます。
‐自己愛を身につけるにはどうすればいいのでしょうか。
条件のない自己愛を育むのは、まず養育者です。たとえどんなに組織から外れても、絶対に自分の味方をしてくれると、子どもが感じられることが大事です。絶対的に愛してくれる人がいるという自信があれば、「私はこう思う」と言えるようになります。
それを与えられないと、独りになることの恐怖に縛られ、自分の言葉でものが言えなくなってしまうのです。「We Think」ではなく、「I Think」で語り合える社会を作ることこそ、ハラスメントをなくしていく第一歩です。
【2012年10月22日号】