日本で食育基本法が施行された2005年の約1年後、フランスではジャン=ポール・ジョー監督が、南フランスの小さな村、ガール県バルジャック村の学校給食に注目していた。この村では、ちょうど給食事業全体が、有機食材へと変更される移行期だった。ジョー監督はその村の公立小学校の学校給食を、1年かけて追うことにした。
なぜ、ジョー監督は学校給食に注目したのか。それは、2004年に自身が結腸がんに冒されたことに起因する。常にスポーツを行い、食生活にも気をつけ、健康的な生活を送っていたのになぜ?ジョー監督はその原因を「食事」ではないかと調査した。「ごく普通のものと思って食べていた食材が、実際には農薬などの人工的なものにより毒されていたことを知りました。私の職業は映画監督ですから、これは伝えなければならないという使命だと思いました」。
職業として監督業を選んだきっかけは、15歳の頃、父親がプレゼントしてくれた8oビデオカメラ。映画学校に進学し「フィクションよりもドキュメンタリーを作りたいと考えていました」。79年より監督として活動を始め、92年には制作会社を設立した。98年にフランスで開催されたサッカー・ワールドカップでは、国際中継でディレクターとして活躍するなど、スポーツ映像に革命をもたらした。
スポーツから食まで、幅広い映像制作に携わっているが、食を考える原点は幼少期にさかのぼる。「バカンスはいつも田舎の祖父の家で過ごしました。そこでは、生きること、動植物の生態系がいかに大事なのかを肌で感じていました」。だからこそ農業大国フランスの現状に警鐘を鳴らしているのだろう。映画では、広大な畑に大量散布される農薬、それを散布する人たちや子どもたちが抱える重篤な病気について科学的な説明もある。日本に対しても懸念する点があるという。「初来日ですが、植物が多く植物を愛する国民なのだと感じています。ですが、統計的に農薬を多く利用している国でもあります」。
バルジャック村の撮影で多くの村民と接したジャン監督。「1年という時間を経て村人たちの考え方も進化し、食への意識が高くなっていきました。撮影した小学校は村のなかでも一番のレストランですよ」と笑う。子どもたちの学校給食を通じて、村人が一体となるのを肌で感じてきたのだ。「子どもたちが変化して親も変化した?」との問いに、「もちろん、もちろん、もちろん」とジョー監督は何度も頷く。「子どもたちは何ももっていないからこそ、失うものもありません。純粋に感じられることを信じていればいいのです。子どもに教えられて気づきを得ることは絶対にあります。この映画は心≠ナ見て欲しい。なぜこの映画が作られたかがわかるはずです」。
ジャン=ポール・ジョー=1946年フランス出身。国立ルイ・リュミエール大学卒業後1979年より監督。スポーツ番組に革命をもたらし、92年に制作会社を設立しフランステレビ制作に携わる。「羊飼いの四季」などの移りゆく四季のなかで織り成される人々の暮らしを追ったドキュメンタリーを制作。今年初夏には「未来の食卓」が公開される(配給/アップリンク)
【2009年3月21日号】