昨年3月11日に発生した東日本大震災で、東北地方は大きな被害を受けた。特に福島県は、大津波が沿岸を襲っただけではなく原子力発電所の事故により、放射性物質の検査を終えた県内産の食品でさえ敬遠され、県内を訪れる旅行者の数も激減。教育旅行の分野も同様で、昨年4月に入ってからは教育旅行のキャンセルが相次いだ。そんななか、冬の教育旅行の目玉であるスキーに訪れる学校も出てきた。栃木県下野市立石橋中学校(穂坂孝司校長)もその一つ。同校は「立志記念スキー学習」として20年近く猪苗代町を訪れている。今年は「立志式」と併せて福島県相馬市のいちご農家・齋川一朗さんの講演を通じて、震災当日の様子を知り、福島県の今を考え、将来の自分たちについて考えた。
大人への第一歩 立志式で考える
相馬市の農家・齋川さんが震災当 からこれまでの話をすると、生徒 から多くの質問があがった |
スキー宿泊学習で 猪苗代へ20年
同校は、1月24日から福島県猪苗代町のヴィライナワシロに2泊し、宿泊先の目と鼻の先にある猪苗代スキー場で昼はスキー学習を実施。初日夜は「立志式」を行い、2日目の夜は齋川さんの講演に耳を傾けた。
「立志式」は武士社会で行われていた元服の儀にちなんで14歳になったことを祝うもの。中学2年生を対象に自分を見つめ、これからの生き方を考える機会として大切に受け継がれ、同校は毎年、このスキー宿泊学習と併せて行っている。
放射線量を確認し 継続実施を決定
長年の行事である「立志記念スキー学習」の実施にあたり、生徒へ事前にアンケートをとり、生徒の思いを理解し、保護者会で1名でも反対がいたら、行き先の変更も視野にいれていた。
「津波は塊で壁が押し寄せて くるようでした」 と津波が相馬の街に与えた 被害を話す齋川一朗さん |
保護者から反対の声は出ず、学年主任の小野真己教諭をはじめとした学年団で放射線量の測定結果などを考慮した結果、例年通り実施が決まった。「下野市と猪苗町では、放射線量がほとんど同じでした」と小野教諭は話す。
初日の立志式では、栃木県知事や学校長のメッセージなどが読み上げられ、代表生徒の決意表明、各クラスで考えた思いを漢字で表して発表。さらに、生徒が生まれてから現在までのたくさんの写真を画面に映した後に、保護者に内緒で書いてもらった手紙を渡すと、ほとんどの生徒が涙を流したという。
同世代の仲間へ 何か関わるきっかけに
小野教諭は立志式の実施にあたり、福島県で行う意味を考えた。同校でも3月11日に校舎が大きく揺れ、停電になり学校給食もストップし、多くの生徒が不便を感じた。だが、その気持ちが次第に薄れ、他人事になってきた部分を感じていた。
「同じ時代に生き、大変な思いをしている同世代の中学生がたくさんいる。自分たちが何か関わるきっかけになってほしいと思いました」と、県関係者に震災からこれまでの話を聞かせてほしいと相談し、立志式の機会に震災の学習が実現した。
宿泊先のヴィライナワシロの目の前にある 猪苗代スキー場。磐梯山をバックにスキー を楽しむ 生徒。眼下には猪苗代湖が見え る最高のロケーションだ |
冒頭、福島県観光物産交流協会の関根文恵さんが、県内の被害状況を説明。最も大きな被害は県外への6万1659人の避難者だ。「皆さんの住む下野市の人口5万9000人が全員いなくなるのと同じくらいです」との説明に驚く生徒に、「一つの人生、一つの家庭がある重みを感じてほしい」と関根さんは話す。
続いて、相馬市に津波が押し寄せた時の映像を見た後、齋川さんが説明した。あの時、齋川さんは海の入り江から500メートルくらい離れた、いちごハウスの手入れをしようとしていたが、携帯に緊急地震速報が入った。
日頃の避難訓練で 危機感を持って
しばらくして、海からゴーっという音が聞こえ、遠くに津波が見えた。「波というよりは塊で、壁が押し寄せてくるようでした」。相馬ではこれほどの大津波を想像しておらず、危機感が薄かったと齋川さんは悔やむ。「津波は地形によって様々な方向から押し寄せました」。
齋川さんが所属する和田観光苺組合では、ビニルハウスの半数が海抜約ゼロメートルの休耕田にあり、津波が引いた後は流されてきた様々なものが残った。「震災直後は流されてきた瓦礫を呆然と見ているだけでしたが、ボランティアの方の力がものすごく大きかったです」と感謝の気持ちを語った。
助かったハウスに残っているいちごを摘む作業の応援を、避難所の人に頼んだ。その中に、中学生くらいの女子がいた。「元気な子だと思って声をかけましたが、その子は津波で両親が亡くなったそうです。思わず言葉を失いました」。
齋川さんは今回の震災を通じて、普段の避難訓練と家族の大切さを痛感したという。
「皆さんも、家族を想う気持ちを大切にしてください」。また、最初は被害の程度によって近隣の人たちがぎくしゃくしていたが、仲間を失わなかった、と胸を張る。
最後に齋川さんは、「同じ時代に生まれた皆さんの同世代の仲間がいます。皆さんの力、知恵を出し合って日本を変えてほしいと思います」と生徒へのエールを送った。
この日は宿泊先の支配人・中村友行さんから、避難者を受け入れた時の様子も聞いた。
「当たり前のことが当たり前ではありませんでした。ある家族の方が"お茶碗でごはんを食べるのは久しぶりだね"と話していた姿に、どのような食事をされてきたのだろうと胸が詰まる思いでした」と、同じ県内にいても状況が異なっていた様子を語った。
生徒からは、多くの質問や感想があがり、一番苦労したことは何か、生徒自身がこの震災を機に受けた悲しみなどが述べられ、それぞれが今の気持ちをワークシートに書き込んだ。立志式とともに、福島県で講演会を行った意味、それはこのワークシートに詰まっていた。
生徒・教員の声 正確な判断のできる大人に
●立志記念スキー学習実行委員長・加瀬航太郎さん(中2)
テレビや新聞を見るだけでなく、こちらから質問することもでき、被災地の方々がどういうことを思っていたのか、いろんな視点から見ることができました。
小学生の頃福島県へ旅行に来て楽しい思い出がありましたが、今回はホテルの方が避難した人を受け入れた話も聞き、福島県の方の人の良さを知ることができました。
地震の日は、親がテキパキと判断してくれ、安心することができました。自分も家族をもったら、何か起きたときに、正確な判断ができるような大人になりたいです。
教員が偏見を持たないことも大切
●梅山恵子教頭
学校行事は子どもたちを大きく成長させるものです。立志式での清々しい涙、講演でのたくさんの質問と、子どもたちから教員が学ぶこともあり、学校行事のよさを再発見しました。
実施に当たっては学校長と相談し、問題ないという判断のもと来ましたが、心配は何もありませんでした。様々な情報で知らないうちに持ってしまっている偏見を、教員が持たないことも大切だと思います。
皆さんの思いやりや人情を感じる宿泊学習となりましたし、何よりも子どもたちのことを考えてくれる姿をありがたいと思っています。
【2012年2月20日号】