【福島県 教育旅行の今】
震災体験から学ぶ―和洋国府台女子中学校が林間学校へ

教育旅行

太田陽太郎校長

福島県の実情を同世代に学ぶ

 地震、津波による大きな被害を受けた東日本大震災。各県が少しずつ復興に向かっている中、福島県は原発事故による先の見えない苦難を抱えている。豊かな自然、会津藩の歴史・文化などを学ぶ教育旅行で、震災前は年間70万人以上の県内外の子どもたちが訪れていた福島県。震災後はキャンセルが相次いでいたが、教育旅行復興に向けて、放射線に関する正しい情報発信や学校訪問に取り組んできた。そんな中、スキー教室、林間学校、修学旅行を福島県に戻したいという動きも少しずつ出てきている。その際に要望として上がってくるのが、防災教育の目線。7月に林間学校で福島県を訪れた和洋国府台女子中学校(千葉県市川市/太田陽太郎校長・理事)もその一つだ。

福島県で林間学校 6回目の実施に

  和洋国府台女子中学校の2年生は、7月24日から3泊4日の日程で、猪苗代町、会津若松市を中心に、今回で6回目となる林間学校を実施した。昨年度は、震災の影響もあり山梨県へ行き先を変更したが、今年は例年通りの計画となった。

  生徒は、会津若松市で鶴ヶ城、白虎隊記念館、會津藩校日新館などを訪問して会津藩の歴史や福島県の文化を学び、同時に猪苗代町でのブルーベリー摘み体験、雄国沼でのハイキングや裏磐梯高原でのデイキャンプなどで自然を体感した。

教育旅行

いわき海星高の澤尻校長から
生々しい3.11の様子を聞く

教育旅行

「チームじゃんがら」の16名が
力強い音と念仏踊りを披露する

教育旅行
教育旅行

會津藩校日新館は什の掟を学ぶ場(上)。
自分たちと同世代が学んだ姿を垣間見る(下)

  それに加えて、今回は福島県立いわき海星高等学校(澤尻京二校長)の「チームじゃんがら」が和洋国府台女子中学校の宿泊先であるヴィラ・イナワシロを訪れ、交流会が行われた。

校舎1階に津波 自然の威力を学ぶ

  「チームじゃんがら」が訪れたのは、林間学校2日目の7月25日。午前中は雄国沼でのハイキング、午後は日新館で会津藩についての学習をし、それに続いて夕食前に交流会が開かれた。

  まずは、いわき海星高校の澤尻校長がスライドで写真を見せながら、3月11日当日のこと、その後の学校・生徒について説明していった。

  昨年の3月11日は、高校受験の入試業務期間であったため、校舎にいたのは教職員のみ。いわき海星高校は全国でも数少ない水産系の高校で、校舎の目の前は、大海原が広がる。

  そのため、校舎1階と寮を大津波が直撃した。水道などのライフラインも断たれ、同校は近隣校へ間借りをして約1年間を過ごした。水産高校の宝である実習船・福島丸は奇跡的に残り、震災後もハワイ沖へのマグロ漁の実習に向かっている。学校復興のシンボル

P旗に全校が集まる

  また、自宅等で被災した生徒のうち一人が死亡、一人が依然行方不明のままとなっている。

  澤尻校長が、ある時計の写真を見せた。「この時計は15時29分で止まっています。おそらく一番大きな津波がこの時に押し寄せたのでしょう」との言葉に、和洋国府台女子中学校の生徒は息をのむ。

  そんな中、教員らが校舎1階を片づけている時「P旗」が見つかった。船舶にはAからZまでの旗があり、それぞれが意味を成す。P旗は乗組員に「船が出航しようとしているので船に戻るように」という意味で掲げられるもの。

  「学校にみなさん集まりましょう」という意味で、同校ではP旗を復興のシンボルにした。校舎の掃除に始まり、「じゃんがら念仏踊り」も復興へ向けた活動の一つだ。

  今回、震災について生徒と共に話しに行くことを決めた澤尻校長の思いは全国から受けた支援への「恩返し」。「まだまだ不自由はありますが、生徒がめげずに明るくすごしているのがなによりの喜びです」と澤尻校長は胸を張る。

  「チームじゃんがら」は1年生から3年生まで19名の有志で活動している。今回は16名が交流会に臨んだ。当時中学2年生だった生徒は、現在高校1年生。和洋国府台女子中学校の生徒たちにとって、年齢の近い高校生に話を聞くのは、良い経験となった。

  いわき海星高校の生徒からは、「特に“水”がいかに貴重で手に入りにくいものになってしまったか」、「いわき市にはなかなか食料が入ってこなかったためスーパーで奪い合いになった」、「生きるために皆が必死だった」など、体験した人たちにしかわからない被災地の現実を知ることになった。

  しかし、そんな中でいわき海星高校の生徒らが得たことは、「改めて感じた物の大切さ」、「知らない人が手伝ってくれて助け合いの大切さを学んだ」、「避難先での優しさ」、「三食食べられるありがたさ」、そして「なによりも家族がいることの幸せを実感した」という人間が本来持つ優しさや強さ、そして感謝する気持ちだったと次々に語られた。

  その後、いわき市の無形民俗文化財「じゃんがら念仏踊り」が披露された。鉦(かね)と太鼓を鳴らしながら、念仏に節をつけた唄が会場に響き渡る。かつては季節に関係なく市内で踊られていたようだが、現在は新盆を迎える家の庭先や家の中で踊られているという。同校では、福島丸が実習に向かう前の出港式で「出船、入り船、大漁船」と変えて唄われる。

  最後に澤尻校長は「和洋国府台女子中の皆さん、これから何が起きても下を向かずに上を向き、前向きに進んでください。あきらめないことを忘れないでほしい」と震災から得た思いを伝え、会場が一体となった。

テレビではわからない 被災地の状況を知る

  交流会前に「生徒には震災で自分たちが経験した部分と、実際に被災地で体験した人と時間を共有することが大事。明日の世界を作るのはこの子たちなのですから」と和洋国府台女子中学校の太田校長は話していた。

  交流会後に和洋国府台女子中の山崎南美さんに話を聞くと、「テレビだけではわからないことを教えてもらい、とても気持ちが伝わり、共感できました。水がなくて大変だったことを話してくださいました。普通に蛇口をひねって水がでることがいかにありがたいか。そして、じゃんがら念仏踊りがとても心に残っています。2つの楽器だけなのに強い音でした。皆さんのいわきに対する思いを感じました」と、校長の思いが伝わっていたようだ。

再開のポイント 安心の食材を提供 農家の言葉に納得

  福島県での林間学校を再開するにあたり、どのような点がポイントとなったのか。

教育旅行

生徒がブルーベリー
摘みを行った農園の
宇川進さん

  「会津、猪苗代の自然と歴史には他にはない良さがあります。放射線量は、本校がある市川市とほとんど変わりません。そのような点では場所を変更する理由はありませんでした。水だけが心配でしたので、きちんとした数値を調べるようにしました。また、生徒には風評に惑わされず、事実を基に責任を持って行動できる人であってほしいと願っています」と太田校長は話す。

  2月には教頭と学年主任が線量計を持って、下見へ。学年主任の大野教諭が心を動かされたのは、林間学校中に生徒も実際にブルーベリー摘み体験を行った、宇川クリーンファームの宇川進さんの言葉だった。

  「作物は自分たちが売るためだけに作っているわけではない。自分たちが安心して食べられるものを作っているのです」と話す宇川さんの言葉に大野教諭は納得した。

困難に直面した時の道しるべに

  交流会を終えた大野教諭は「自然と歴史、礼儀を重んじる会津の風土、会津藩校の教えである什の掟を生徒に伝えたいと思いました。年の近い高校生が体験した苦労を直接聞いたことで、これらが合致し、心に響くものがあったと思います。自分たちが困難に直面した時の道しるべになったのではないでしょうか」と語った。

  今後はこの交流の感想をまとめ、各クラスで話し合い、これから何ができるのかその発展を考えていく予定とのこと。

【2012年8月20日号】

<<教育旅行・体験学習一覧へ戻る