理科離れが叫ばれて久しい。文部科学省は6月13日、指導方法を研究する小中学校のモデル校「理科大好きスクール」に、19都道府県の167校を指定した。本当に子どもたちの「理科離れ」は食い止めなければならばいほどの対処に迫られているのだろうか? 全国中学校理科教育研究会設立50周年を迎える今大会が7月31〜8月1日、東京文京区のシビックホールで開催される。開催にあたり、同研究会会長の田中信一郎・文京区立第六中学校校長に伺った。
「理科離れ」が声高に叫ばれていますが
そもそも「理科離れ」とは、高校での履修が減ったために大学での補習が増えたことによる、大学側から出てきた言葉です。その背景には、社会の変化があります。「理科教育振興法」が制定された1953年、日本は貧しく、世界に先駆け優れたものを作るうえで科学技術が必要とされていました。が、70年代に入り、学習内容は多いものの、実験方法のみで解答が掲載されていない教科書が多くなり、授業についていけない「落ちこぼれ」も生まれました。そのうち、社会は物質的豊かさから精神的豊かさを求める時代となり、人間性豊かな児童生徒を育てる方向へ転換し、理科の時間は減少することとなったのです。
一方、昨年実施された文部科学省の学力調査では、5教科の中で「理科が好き」という質問に対し、「そう思う」と「どちらかと言えばそう思う」を合わせると55%で、5教科の中で断トツの結果となりました。が、「大切だ」の質問には、英語の84・7%に対して57・3%と、最も低い数値を示しています。今こそ、理科教育が必要であるとの認識を高めていかなければならないのです。まずは、(科学が苦手という)コンプレックスからの科学への否定を緩和することが必要ですね。
今大会のねらいにある「生きる力を育む」うえで理科教育への期待
理科教育での「科学的な見方」、つまり問題を解決するため、観察や実験をしデータを集め立証する力は、生きる力となる課題解決力そのものです。とは言うものの、課題解決能力は、幼児期にすでに形成されるといっても過言ではありません。危なっかしいながらも台所に立たせたり、物を手に掴んだりする経験のなかで芽生えた探究心が、課題に対する解決策を見つけようとする原動力となるのです。
大会においてもやはり、「評価」は関心事となっているそうですね
一律の基準がなく、先生や学習内容、観察・実験か座学によっても、観点別の評価の度合いは変わってきます。今大会でも「評価」の分科会には300人ほどが集まる予定です。活発な議論が展開されると思います。
教材活用について
理科教育新興法が公布された際に、1校に対し12台の顕微鏡など、実験・観察・調査設備・用具が一斉に設置されました。しかし、年々理科教材への予算は減少しています。全員が観察・実験に参加するためにも、1人1台の顕微鏡や電源装置の配当が必要です。2人で1台の顕微鏡を充当している学校もありますが、初期から整備されていた古い機器を利用しているなど、実態は理想とほど遠いものです。「分かる子がリードする。分からない子は端で見ている」観察・実験を改めるためにも、教材の十分な設置は必要と考えます。
また、すべての子が十分な観察・実験に参加するためには、理科専科の不足や担当者の異動もネックとなっています。
せっかくの、子どもたちが大好きな観察・実験の時間を充実させていければ、と思います。苦手意識から生まれる「理科離れ」を食い止めるためにも。
【2003年7月5日号】