日本に生まれ育ったなかでみそに馴染みのない子どもはまずいないだろう。けれども、総合的な学習の時間で取り上げたとき、みそとは自分で作るものなのか、また、作れるものなのかと、乗り気になった生徒は多くなかった。それから10ケ月、江東区立第三亀戸中学校(田部井重雄校長)の2年生がまさに手塩をかけて作った自家製みそはその出来ていく過程の中で、それ自体だけでなく、生徒達をも成長させていった。そのみそを使って12月17日、こんどはみそパンづくりに挑戦した。
■プロも参加し指導に-
体験し生徒の意識変わる
みそづくりは同校の2年生がまだ一年生だった当時、学校栄養職員の秋山智子先生と岡宗直美教諭の指導でみその下調べから始まった。みそには赤みそ、白みそ、米、豆など全国各地方によってもさまざまな種類があり、それだけで一つの立派な食文化を築いている。同校の生徒達はまず地域のみそ業者から話を聞き、指導を受けた。
そして実体験、給食室で蒸した大豆を生徒達が潰していく。誰かが言った。「きな粉を練っているみたい」
きな粉は大豆なのだから当然だが、都会の子ども達の眼にはそれさえも新鮮に映った。また、生徒のほとんどはこうじをみるのが初めて、それらに塩を混ぜて樽に詰める。「ほんとうにこんな黄色いのがみそになるんだろうか?」
それが生徒達の第一印象だった。「みそなんて本当につくれるのだろうか」、だが、そんな疑心暗鬼だった生徒達は、作業を行ううち、次第に楽しくなっていったという。
やがて、みそは発酵を重ねていく。生徒の中から希望のあったみそ係が毎日のように見守る。みそは徐々に赤身を帯びてきた。天地返し(みその味が均一になるように樽のみそをかき混ぜる作業)は7月11日に行った。そのときに試食した味はまだしょっぱかったが、順調だった。
ところが、その頃には難題が待ち受けていた。無添加ゆえの「カビ」、カビは樽に乗せる重しの石にまではびこった。カビは毎日取り除き、石は洗う。夏休み、みそ係に有志も集まり、ローテーションを組んでそれに対処した。そして、12月になった。
■当日の給食に『亀パン』 会場となった同校の多目的ホール、生徒達は長テーブル1台に3、4人ずつでパン生地を待つ。生地は地元の製造業者が前もって生徒達のみそを練りこんで発酵させたもの。パンづくりの指導もそこの製造業者から2名の職人が携わる。生徒達の作品はその日の給食に出すため、10時までに工場へ運ばないと焼き上がってこない。当日、区内の栄養職員仲間が集まり、みそパンづくりに協力が得られた。生徒は亀戸の亀にちなんで『亀パン』とオリジナルを1個ずつ作っていく。
「切りづらい」「作りづらい」「触ってて気持ちがいい」いろいろな生徒の声。自分の作ったパンが各クラスごとに届けられると聞いた生徒達の中から歓声が上がった。
給食の時間、各クラスにパンが届けられた。ところが、焼きあがってきたパンはなかなか自分達の想像したとおりの形に仕上がってはいない。どれが自分の作か容易に判断がつかない。おなじ亀でも不揃いのパン、けれど、味は…美味い!
■地域・業者と連携が肝心 みそパン誕生は同区が主催した異業種交流会がきっかけだった。(株)三好屋食品工業と佐野みそ屋が試行錯誤を繰り返し、5年前には食べ物で初めて優秀賞を受賞した。いまでは江東区の郷土食にもなりつつあるという。「西洋(小麦)と東洋(みそ)の融合」とは秋山先生。給食のとき、市販のみそパンと自分達のみそパン、どちらが美味しいかと訊くと、「どちらもおいしい」。「自分達のは手垢が入ってそう」とひとりの男子生徒がクラスを笑わせた。
今回の授業について秋山先生は、「米や大豆など日本型の食生活を通し、文化としての日本食を学習してもらいたい、現代生活では得にくくなったものをこのような体験から得てもらいたい」と語る。それには教師だけでなく、地域、学校、企業の協力と参加が必要。今回もみそやパン業者ばかりでなく、調理の現場からも協力が不可欠だった。
「こういう授業ならまたやりたい」「こんどはうまくつくりたい」そんな生徒達の感想が給食中の教室の雰囲気を代表していた。
みそを作りはじめ、生徒達の食に対する意識は確実に変わっていったという。「(体験を通して)手応えとしてありました」と秋山先生。250キロの大豆からつくったみそは当日、樽から600グラムずつに分けられ、「三亀みそ 噌(にぎやか)」とラベルを貼られて後日、各家庭に配られた。
そのみそでつくったみそ汁の味は、各家庭で話の花を咲かせることだろう。