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(前編のあらすじ ダイエットがきっかけで食べ吐きと繰り返すようになった著者は、それが摂食障害とわかっても自分で唯一コントロールできることが体重だとして止められない。親に対して反抗心はありながらも結局は親に否定されることを恐れ、そうしなければ不安だった。やがて気持ちに余裕がなくなり、自宅で自殺を図るが偶然帰宅した母親に見つかって未遂に終わる)
そのうちに、「そんなに嫌なら」と、大学を休むことになりました。嫌なことをせず、母に何もいわれないという望んでいた環境になったのです。にもかかわらず、私は食べ吐きをしたくてたまりませんでした。それまでは、自分がやっているとわかってはいても、母の言ったことに傷ついたからとか、嫌なことがあったからと、人のせいにし、できないことがあれば罰として、いいことがあればご褒美として、食べ吐きをしていましたが、でも、このときはっきりと、「私が、自分で、食べたくて食べて、太りたくなくて、吐きたくて吐いているんだ」と実感しました。周りにさせられているのではなく、自分がしていることなんだと。一番認めたくない汚点だったけれど、それを自分の一部だと受け入れる。そう受け入れるのはとても苦しく辛いことでした。
そんな最中、開き直るきっかけに出会いました。私はこの頃、万引きもしていて、警察署に連行されたことがあります。そこで、食べ物を買いに行くときは母と一緒に行くこととなり、そうすると何を食べ、吐いているのか知られてしまいますが、それがかえって気持ちに変化をもたらせたように思います。
認めたら気持ちが少しは軽くなりました。食べ吐きを消すのではなく、抱えながらでも出来ることをしていこう。たとえ同じように食べ吐きを繰り返していても、出来ることや考えが広がっていけば食べ吐きの占める割合は小さくなっていくはずだ。
大学は辛かったけれど、途中で終わりにするのは苦しんだ分もったいないと思い、なんとか通って卒業しました。今は在学中に始めたアルバイトを続けています。同級生は就職している人が多いので焦る気持ちはありますが、私の今出来ることを大切にしようと自分に言い聞かせながら過ごしています。
母は、最初は叱ったり、止めたりすれば食べ吐きはなくなると思っていたようですが、病院の勉強会で医学的な観点からこの病気のことを学んだり、私の様子を見ていて、今の私には食べ吐きが必要だということを少しずつわかってくれています。食べ吐きをする心境は全く理解できないが、そういう状態だということはある程度受け入れてくれています。今はもう母は「自分で決めていいんじゃない」といいますが、まだ私は自分の感覚に鈍感です。本当はとても好き嫌いがはっきりしているのに、否定的な考えを持ってはいけないと思い込んでいる部分があります。少しずつ感じていることに耳を傾けていこうとしているところです。
今まではわけもわからず食べ吐きに追われていましたが、最近は「どうして必要なのか」と疑問を持つようになってきました。苦しいけれど、吐くとすっきりします。では、吐きたくなるほど何が私にたまっているのか、掘り起こすというよりも、これからの日常を送りながら気づいていけたらいいなと思います。普通なら中学生くらいで親の気持ちや自分の気持ち、価値観の違いに気づき、親から離れていくのでしょうが、私は今、それをしているみたいです。だいぶ遅い思春期ですね。
私はまだいまだに食べ吐きをする日々ですが、例えば2年前、1年前よりは少しは楽になっています。自分を大切に、自分を信じられるようになれたらと思います。
〈次号・摂食障害体験者手記2、前編〉
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