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私の体験談「子どもの心を考える」
摂食障害体験者手記 前編
〜もっと“自信”があれば〜
寄稿−Sさん

 大量に食べて吐く。それをする自分は異常だと思い、両親にも友人にも隠していました。やはりきっかけはダイエット。大学受験を控え、部活動を引退したこともあり、食べる量を減らしていきましたが、ある日、反動でたくさん食べてしまいました。その時、以前に友人が言っていた「苦しかったら吐いちゃう」という言葉を思い出し、口に手を突っ込んだのが最初です。はじめは頻度も量も少なかったのが、だんだん量も回数も増えていく。これが「摂食障害」という病気だと知ったのは、テレビのニュース番組での特集を見て、そして、図書館で関連する本を探して読んでみてからです。

 明日から止めよう。今日が最後だ。しかし、止めることができない。とうとう吐いている現場を母に見られ、知られることになりました。

 私は決して、この病気の人がよく言われているような『優等生』ではなかったと思います。親にたくさん口答えもしました。しかし、そうしながらも「否定されたらどうしよう」と常にびくびくしていました。何だかんだ文句を言っても結局は親の意向に沿うようにしたし、そうしなければ不安でした。「自分がどう感じているか」「何をしたいのか」よりも、「何をしなければならないのか」「どうすれば親(特に母)に気に入られる答えを出せるのか」が優先でした。自分の感じていることなのに実感が持てず、押さえ込んでしまい、何を感じているのかさえわからなくなっていきました。何かをするにしても「やらなければならない」こと。自分の感覚よりも周りからの評価からでしか「やっている」という実感が得られませんでした。

 そんな中で唯一コントロールできたのが体重だったのだと思います。何よりも数値ではっきりとわかることだし、やればやるだけ成果が出る(たとえ、吐くという方法をとったとしても)。体重計が40キロを切り、35キロを切り…私にとっておそらく初めてといえるくらいの達成感。もうその数字しか見えていませんでした。痩せに走ったのはそれだけではありません。痩せていることで周りの人から心配され、「無理しなくていいよ」と、声をかけてもらえました。そうか、痩せていれば猶予をもらえる。辛いこと、頑張っていることを言葉で表すことが出来ず、痩せで表現していました。これは幼い頃に言われていた「痩せるほど勉強しなさい」という母からの言葉が私の奥底に根を張っているのかな、と思ったりします。「食べる、太っている=卑しい、だらしない」。「だらしないことは悪いことだ」。それらはなぜそうなのかという理由なく私にインプットされているのです。

 ただ体重が減り、それでも何かに追われるかのように忙しくしていたため、やがて、体も気持ちも一杯いっぱいになっていきました。犬も猫も、蟻だってちゃんと食べて生きている。こんな私は人間とはいえない。そのうちに、そうだ、終わりにすればいいんだ、どうして今まで思わなかったのだろう、終わらせてしまえばこの苦しみから逃れられる、大学もピアノも、食べ物からも解放される、とたんに晴れ晴れとした気分になりました。そして数日後、風呂場で首を吊りました。

 ですが、すぐに意識がなくなると思っていたのに苦しい。舌は出そうになるし、手が痙攣するのも感じるのに…そうしている間に出かけていた母がその日に限って早く帰宅し、見つけられることになってしまいました。要は失敗してしまったわけです。

 「もう終わりだと思っていたのに、またこの先、生きていかなければならない」

 しばらくは、なかなかそういうことを受け入れることが出来ませんでした。しかし、時は過ぎていきます。
(次号後編へつづく)

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【2005年7月16日号】

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