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座談会「子どもの心を考える」
校内の共通理解が子どもを導く

 文部科学省の調査では平成3年度、小・中学校全児童生徒数に占める「不登校」の比率は0・47%。これが14年度では、1・18%で人数にすると13万人を超える。高等学校では15年度、東京都の調査によると、都立高全体で1・20%(1639人)、全日制では0・57%(717人)となっている。文部科学省では、学校・家庭・地域社会の連携などの施策を進めているが、特に高校生では中途退学者が後を絶たない。
 そこで、実際に「不登校」と関わってきた方々を招いて座談会を開き、それぞれの立場から話を交えて頂いた。
  (進行:教育家庭新聞社 三谷真利)


座談会風景
岡田謙医師、竹下君江先生、
江森誠記先生、Aさんによる座談会

 当日は、Aさんさんから体験談(連載参照「ありのままの自分で…」)を話して頂き、そこから会話が進んでいった。

家での延長での
 保健室
竹下先生、保健室登校の子が初めて保健室へ来るとき、ほかに別の子が居たりすると…
竹下 ぜんぜん違いますよ。一人だと最初すごく不安な気持ちで来ます。「今はいないけれど、毎年何人もいるのよ」と言うと安心するようです。すでに2、3人いる時は生徒同士が仲良くなって、お互いに紹介しあったり。そのうちに「竹下クラス」と呼ぶ子達もいますが、教室と違って、家庭のようにみんなが「ただいま」という感じの雰囲気がいいようですね。完全な不登校をまず保健室登校にして、それから教室に帰していくということをやっているのですが、それは学校に来るということではなくて、家庭の延長でちょっと学校まで来て、保健室まででいいのよ、というところから始めています。

Aさん そうですね。私も復学したときは保健室登校で、それから教室に行ってみようかという段階がありました。

保健室は、安らぎの場なのでしょうか?
岡田 精神的に追い詰められたり、あるいはゆとりがなくなったり、あるいは自分の意思で行き先が分からなくなったとき、人間は基本的にどこにいても不安になってしまう。居場所がないわけですから。家とか、慣れ親しんだところがいいのかっていうと、かえって意識してしまうので、本当に苦しい時は家で落ち着けなくなることもある。
 あるいは他人の中でこそ和らぐこともある。だからといってわいわいガヤガヤなところにいれるかというと、健康な人はある種の勢いがあるけれど、心が疲れている人はその中には入れなかったりする。そうすると、保健室がいいということになるんじゃないですか。そこには波長のあった人がいる。自分のペースで合わせようと思ったら、合わせられる空間が一番大事。

竹下 保健室にはいろんな機能があって、応急処置を行ったり、健康教育を行ったり、その中の一つに保健室登校というのがあるのだと思います。高校生の場合、電車で登校する生徒が多いので、とりあえず距離的にも気持ち的にも近くなるということで、授業には出ないけれど、家と保健室ではぜんぜん違う。そうして、だいぶよくなってきたところで好きな授業とか、興味ある授業に、まず一つから始めて、最終的にはすべての授業に行けるようになったケースは何件もありますよ。

そのコツみたいなものはあるのですか?
竹下 タイミングがあって、落ち込んでいるときに「授業に出てみる?」というと駄目だし、本人がやる気になってきているのに「いいのよ、まだ無理しなくて」と言うのは駄目なんです。

不登校の子は「がんばれ」と言われるのは嫌だと聞くのですが。
Aさん がんばれと言われるよりは、心で見守っているからねと口では言わないけど態度で表してくれるほうが嬉しくて。がんばれと言われるよりは世間話とか、あまり触れないで欲しかったです。

竹下 本人がある程度よくなったときに「行ってみる?」、「ちょっとやってみたら?」というようなそこらへんでのがんばってというか、励ましが効果的かな。

Aさん 授業が気になってきた時に、養護の先生が「ちょっと教室のぞいてみる?途中までついていくから」と言ってくれて、見守ってくれている態度が心強くて、教室の前から、教室の中へ行けるようになりました。

竹下 毎日、その子を見ていると、顔色や態度で今日はよさそうかなというのがわかるようになりますよ。

「不安」な心を
 「安心」へ

江森 武蔵総合国際学園は、昭和63年に設立し、東京・世田谷区にある通信制の科学技術学園高校と技能連携という形で、本校に在籍しながら高校卒業の資格を取るというものです。本校そのものは高等学校ではないのですが、設立当初は中学浪人が多い時代でしたので、そういう子達に高等教育が学べる場として立ち上がったのですけれども、そのうちに不登校の子どもが増えてきたということで、12年くらい前にクラス全員が不登校経験者というクラスを作りました。今では学年4クラスあるうちの2クラスを不登校専門のクラスということでやっております。
 その生徒達の話を聞くと同じ経験をした子達、同じ傷、同じ痛みを味わってきた子達が同じ空間にいるということが安心感につながって、より学校に来やすくなるというのがあるようです。当初は不登校専門のクラスを作ったところで生徒が毎日来れるわけがないじゃないかという指摘もありましたが、実際のところ、8割5分くらいは毎日登校できている。お互いに励まし、助け合うということが生徒にとっては大きいようです。

どういう感じでやっているのですか?
江森 そこが一番難しいところで、私の場合、とにかく明日からがんばっていこうということでやっていったら大失敗でしたね。勢いを出してしまうと、その勢いがまぶしすぎて子ども達は下を向いてしまうこともありました。ですので、そこから手法を変え、入学した子ども達に最初に言うのは、「がんばらないことからはじめよう。絶対にがんばっちゃいけない。がんばるから疲れるのであってがんばらなきゃ疲れない。ここというときにエネルギーをとっておいて今やらなきゃいけないと思ったときに自分で使おう」と。それに、クラスに笑いがないとなかなか馴染めない。
 入学すると、最初は静まり返っています。教室という空間に何年も入っていない子もいるのですからすごいプレッシャーとの闘いで、傷ついてきた子は自分を守る、表現しないように心を閉ざし、守っている。会話が成立しない。クスっていう笑い一言でも広がっていけば、明日はどんな楽しいことがあるんだろうと少しずつ学校に来れるようになるんじゃないかなと、朝ホームルームに行くときは何か一つ面白い話題をもっていきます。連絡事項は黒板にはって、後は生徒とのコミュニケーションを大切にします。

同校には保健室登校の子もいるのですか?
江森 何人かいますね。保健室登校のほかに学習室、ステップルームというような教室へ行くためのステップの場も用意しています。まず、そこから始めて教室へ戻すときも慎重にやっておりまして、私はクラスの子にその子の様子が分かるようにしていますね。もうすぐ来るから待っていよう、来たときにはみんなで歓迎してあげよう。行事の準備はその子から見えるところでやって、私がその子に全員を説明して想像させ、「戻ろうかな」というときに戻すようにしています。

誰もが不登校経験者ということで、一般の学校との違いは?
江森 私達教員側は、なかなかタイミングだとか心の動きとかが読めないということがあっても、同じ経験をしているクラスの仲間はわかる。その生徒からアドバイスをもらう。

竹下 生徒同士はよくわかりますよね。保健室登校の先輩がやってきて、その人が3年間で卒業して大学にもちゃんと行っているとわかると、それを聞いただけでも自信がつく。

Aさん 私も経験者がいるといないとではぜんぜん違って、「なれるかな、私もあの人みたいに」という目標ができました。それにほかの人達の存在自体でも安心する。「○○さんは今日も保健室にいるよ」「ご飯食べてるよ」と聞くと、行こうかなという気持ちになりました。

学校に一人しかいなかったら辛いですか。
竹下 でも、それはなんとかなりますよ。最初はどの学校も一人じゃないですか。養護教諭とか担任とか学校全体の連携、教員全員が知っているという共通理解があることが大きいのです。これがいろんなところで大事になってくる。養護教諭が一人で抱えているというのは問題です。一人で出来ることと出来ないことがある。他の教員が自分だけの考えで、「明日はちゃんと始業時間に来なさい」なんて余計なことでも言われたら、それこそ大変です。

Aさんさんはそういうことはありましたか?
Aさん ありません。ひきこもりなのに、夜、ふらり外出してしまった時も、迎えに来てくれた先生が学年主任の先生だったり、他の先生も迎えに来てくれたり、みんな私のこと知ってるんだなという安心がありました。
竹下 例えば10時に登校した子を玄関で「なんで今頃来たんだ」とか、早く帰る子に「なんで帰るんだ」と注意してしまうのはだめなんです。10時に来ても「がんばって良く来たね」と迎える。そうすると明日も来ようと思うようになる。その辺りの言葉を間違ってしまうと、次の日には来なくなってしまいます。

江森 全員が共通理解をしていれば、逆の働きかけができるんですよね。「なんでこんな時間に来て」という考え方しかなかった先生も、その子がこういう状況で10時に来れるようになったとわかれば、同じシーンに出くわした時に「なんで」ではなくて、「よくきたね」と迎えてあげることができる。

竹下 声かけというのはすごく大事です。そういう励ましとか、一緒に喜ぶとか、褒めてあげるとか。その子にとってはすごいことですから。

 Aさんさんの学校の養護の先生はよくがんばったと思います。普段の仕事の中で、その子のためにどれだけ時間を割くかというのは個人差がありますからね。

Aさん 体調が芳しくなかった頃もあって、迷惑かけるなとも思いました。

竹下 恩返ししないとね。その子が元気になって「こうなりました」と笑顔で保健室へ来てくれることが嬉しいですよ。大学に行っていますとか、就職しましたとか、今こうしていますって聞くことが恩返しですよ。私が今までやってきたことがこういう成果になったと実感できるから。

その子の為に
 という気持ち

竹下 岡田先生の病院には不登校の人も来られますか?

岡田 たくさんいます。だけど、「不登校」というのは病名ではなくて状態なんですよね。言葉で言えば形容詞なんです。これこれという様子を表す。そこをちゃんとわきまえないから不登校というのは誤解されている。不登校が病気かどうかなんて議論はナンセンスです。言葉は一つですが、様子はいろいろ、立場もいろいろ。わかってあげようという出発点なのですよ。

そういう子どもが学校へ行くということは、やはり大変なのですね。
竹下 私は保健室に来ただけでいいと思う。その子に、今日はどうしたいって聞いて、本人の気持ちを尊重してあげたい。そうすると、徐々にいろいろなことがやれるようになります。

岡田 そういう姿勢が教育の原点ですよ。自分の能力を自分で推し量らせて自分で判断させていく。

保健室は不登校の子にとって重要ですね。
江森 でも、どこか一カ所ばかりがんばっていても子ども達って救えないと思います。いろんなところがかみ合って初めて本当に子ども達の力になってあげることができる。ただし、そういうことができないというのも教育現場の一番の問題なのかなと思いますが。

竹下 保健室でやっていることは少しずつですが、その子にとっては人生を大きく左右するようなことでもあるのです。何百人もいる生徒の中のたった一人ですが、全国の養護教諭が一人の子の人生を変えるということで、やりがいのある仕事として欲しいですね。私自身これからもそういう生徒達の支えになるように努力していきたいと思います。

江森 私も原点に戻って、教員が一人の子どものためにどれだけ時間を割いてあげられるかというのが、こういった不登校ですとか、いろんな問題の中で一番大事になってくると思います。また、不登校を経験している生徒もその親御さんも不登校をマイナスにとらえてしまっている部分が多いと思うのですが、自分のことを見つめ直す機会だったととらえられたら、決してマイナスではない。我々もそういったことを生徒達や保護者に伝えていくことができれば、気持ちの上でもっと楽に考えられるのではないかと思います。

Aさん 自分の中の殻にとじこもっていろいろ考えることは、私にとってすごく必要だったと思います。自分のことを振り返ったり、気持ちの上で整理したり、結局は留年したけれども、今はすごく楽しく大学生活をしているので、もし不登校や留年をしなかったら今の私ではなかったかな、というのはあります。

では、本日のまとめなのですが。
岡田 不登校というのは、小学生の場合と中学生の場合と高校生の場合とでそれぞれ違います。人生のつまずきはつまずきだけれども、倒れるわけではない。別に病名がつくわけじゃないんだから。パニックになることは、健康な人でも場面や状態が違えば誰でも遭遇します。だから、Aさんさんのように、今ここにいる姿が大事ということなのです。

みなさん、本日はありがとうございました。


【2005年4月16日号】


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