「バーチャルリアリティー」とは、現実ではない「仮想の現実」または「仮想の実体験」のこと。子どもの周りにはテレビゲームや、数年前の「たまごっち」(卵から雛を育てるゲーム)、今では「AIBO」(犬のロボット)など、「人工的に現実感を味わう」機会がいくらでもあります。そこで今回は、「バーチャルリアリティーと子ども」について調査研究を続けておられる、日本児童教育専門学校主任講師で、子どもの文化研究所所員・運営委員の岩崎真理子さんにお話を伺いました。
〈報告=藤田翠〉
だからこそ人や自然と意図的にかかわりを
■親子世代で実体験比較
「親と子世代の自然体験比較」について研究されていますね。
98年に、旧文部省(現文部科学省)が「子どもの体験活動等に関するアンケート調査」をしています。それによると「夜空いっぱいに輝く星を見たこと」がほとんどない子が5人に1人、「太陽が昇るところや沈むところを見たこと」がほとんどない子は3人に1人でした。ところが親世代では半数以上が、「これらのものを何度も見たことがある」と答え、「ほとんど経験がない」と答えたのは1割程度でした。
親子の年齢差20〜30年間に、自然体験だけでもそれだけの違いがあるのです。その他のことでも、たとえば「友だちと取っ組み合いのけんかをする」は、父親世代の56・1%に比べ子世代では22%。「近所の人に叱られる」という項目では、父親世代が52%、子ども世代は13%です。この2例は他人との関係で、自分が痛みを感じる経験ですが、今は減っています。
更に、命と関わる経験ですが、「小さい子どもを背負ったり遊んであげたりした経験がない」女子は14%、男子は27%。そして「赤ちゃんのオムツを代えたりミルクをあげたりすることがない」女子は71%、男子は84%。自分より未熟な者と接する経験も乏しくなってきているということです。
その背景には、子どもの数が減ってきていることや、自然発生的な異年齢集団が崩壊してきていることが考えられます。これらをみていくと、今の子どもたちは、現実体験が非常に乏しくなっていることがわかります。
実体験あってこそ ゲームやおもちゃの楽しみ
■メディア おもちゃの功罪
子どもにとってのテレビゲームとは、何ですか?
昨年3月の「児童生徒の心の健康と生活習慣に関する調査」(文部科学省)によると、「自分だけの部屋がある」子が非常に増えており、特に中学生で6割、高校生で8割でした。逆に子ども部屋がない子は小2でも2割、高校生では約3%。今や大半の子が自分の部屋をもっている。
しかも、自分の部屋にテレビがある子は小2でも74%、高校生では90%。この結果から、「閉ざされた子ども部屋で1人、テレビやテレビゲームに向かう」という子どもたちの姿が浮き彫りにされました。桝山寛氏はその著書「テレビゲーム文化論」(講談社現代新書)の中で、「テレビゲームは子どもにとって最初のメディアおもちゃである」といい、「伝統的なおもちゃとの大きな違いは、遊び相手として機能することだ」と書いています。
それはどういう意味でしょうか?
空間、仲間、時間を指して「遊びに必要な3間(さんま)」と言われますが、テレビゲームはこれまで批判的な目で見られていましたが、この3点でみる限り子どもたちの遊び場であり、遊び相手です。しかもこちらがスイッチを切らなければ、いつまでもつきあってくれる相手です。今の忙しい時間の中で、自分の都合ですべてがまかなわれるのです。しかも、子どもたちはテレビゲームを通して、友だちとコミュニケーションをとりあっています。
それでは良いことずくめのようですが。
その陰には、「だからこそ」の問題点があるのです。人が社会の中で生きるとは集団の中で生きてゆくわけで、人との軋轢や、コミュニケーションの困難さが必ずあり大人たちも悩んでいます。
でも、テレビゲームにはゲーム攻略の困難さはあっても、関わりあいの手続きを踏む必要がまったくありません。逆に昔の自然発生的な遊びの中で人、自然、社会と関わり、それらと応答的な関係を持つことが、子どもにとって生きる力になっていたと思います。
■昔からのバーチャルな世界
いいえ。広く捉えれば仮想実体験というものは昔から、世界中の民族の中にありました。たとえば、人形と子どもたちが会話をするなどのアニミズム(命のないものにも命があるもののように感じて関わること)的な世界は、ある意味で仮想実体験と言えるでしょう。
でも、そうしたアニミズムの世界と、たまごっちやAIBOには大きな違いがあります。「アニミズム的な感性」というのは、山や川や動物、草木、星など、すべてのものに人間と同じような命があると感じ、さまざまなものを愛おしく思いながら共存して社会を生きていくさまです。お日様に向かって、「きょうは昇ってくれてありがとう」と感謝する。それは自分の内面からおこってくる自然な感性なのです。
現代のおもちゃやゲームは、最初から「遊び」の目的で作られ、子どもに与えられたものです。「心の中から自然に湧き上がってくる」という従来の自発的な遊びではなく、子どもが「遊ばされている」という違いがあります。遊び方が決まっているため、想像力も創造力も要らず、育ちにくいと言えます。
いずれにしろ、現代のゲームやおもちゃについては、これからいろいろとその影響が解明されるでしょう。私たちは手遅れにならないよう、警鐘を鳴らすべき所には声をあげようと思います。
それらは自分で何かを生み出してゆく力になるからです。特に「想像力」についていえば、日本人は一般に目に見えないものに対する感性が弱いと言われます。欧米では、子ども時代には目に見えない妖精がいて、さまざまな存在と響き合っています。ところが日本人は目に見えるもの手にとれるものを信じます。
ゴミ問題に関する感性のなさも、このあたりに原因があるような気がします。目の前だけきれいになれば、それで解決したような気になるのと同じで。見えないものに対する感性、想像力を子どものうちから育てておくことは、自然と共存して生きる上でとても重要だと思います。
「想像力」も「創造力」も、まず自分自身の体験があって初めていろいろ想像したり創造したりできるのであり、ゼロの状態から子どもたちが作りだすことはできません。その意味では、仮想現実の世界も同じで、まず現実を体験しないと、仮想現実の楽しみは本当にはわからないでしょう。
そうです。以前、「ポケモン」がはやった時に言われたことですが、これはポケットモンスターを捕獲する遊びなのに、本当の虫を見たことも捕ったこともない子どもたちが、ゲーム機の中だけでそれを捕獲するというのは、本当の虫を捕まえるおもしろさを理解できないし、それは本来の意味でのバーチャルリアリティーではないと思うんです。実体験の楽しさを知った上で、仮想実体験が成り立つと思います。