医療の現場から子どもの心を考える
4.手首自傷症候群の事例
〜高校生編〜
岡田謙医師(関東中央病院 精神神経科部長)
はじめに
事例は、公立高等学校2年に在籍する17歳の女子(以下Cl.と略)。登校拒否を主訴に母親同伴で精神科外来を初診した。症状として、不眠、食欲不振、企死念慮、手首自傷行為、家族に対する攻撃的言動、抑うつ気分、意欲低下、空虚感がみられた。さっそく抗うつ薬投与を開始、週1回60分を目安としたCl.、母親の個別面談を行った。
Cl.の家族は、母方祖父母、両親、3歳上の兄の6人。小学校5年生から高血圧症のため服薬し、中学校3年生頃から手首自傷行為が始まった。治療期間は5年7ケ月であった。
経過の概要
当初は、自室で寝たきりで食事も摂らず、家族と口もきかなかった。面接では、自己存在感のなさ、自殺願望、学歴社会や自分の気持ちを理解しない家族への怒りが語られ、手首を切り、その血のりでノートに「私をわかってください」と書いていた。面接開始3ヵ月後頃からは少しずつ家族との会話が可能となった。同居している祖父母にも来院してもらい、今後のCl.への対応を話し合った。Cl.からは居場所のなさ、自己嫌悪感、将来への不安、絶望感が繰り返し語られ、自分の欲求が通らないと手首を切っていた。約1年が経過した頃には、手首自傷行為は少しずつ減ってきたものの、胃痛、胸部苦悶感が出現するようになり、血圧も高値を示したため、地元の総合病院内科に入院しながらの通院となった。入院中は、同室患者やナースとさまざまなトラブルを引き起こしたが、その1つ1つを丁寧に話し合うことで少しずつ成長していった。退院後は高校を自主退学し、自分の能力、適正にあった目標を見つけようと決心した時点で面接を終了とした。
生きる
人間は、生活に満足し、生活が安定し、生活が充実、特に問題なく、自律的に物事が進んでいれば、生きていることを意識することも、生きている意味を考える必要もない。しかし、生活に手ごたえがなく、不全感が募り、空虚感が常に意識されるようになると、生活することの意味、生きていることの理由、今、ここにいる自分は何なのか、といったことにこだわるようになる。一所懸命がんばっているにもかかわらず、達成感がなく、生活が空回りし始めると、不安になり、気分は落ち込む。対人関係が相互的でなくなり、一方的となり、相手をむやみに攻撃するか、自分を必要以上に責めてしまう。一方的な感情が自分に向けられ、それがうまく解決されない場合の結果が自傷行為であり、手首自傷もその1つである。しかし、手首自傷は自殺行為ではなく、死なないための手段である。生きることは自分を大切にすることである。
16歳から18歳まで
16歳から18歳までは、思春期の年代といわれる。思春期の子どもは、生きていることを感じ、生きている意味を考え、生きるとは何か、何のために人間は生きているのか、何で生きているのか、自分とは何なのかに悩み、苦しむ。生きることは、死ぬことを意識することで、思春期の子どもは、いつも死ぬことばかり考えているわけではないが、常に死と隣り合わせにいる。この世代に自殺者が多い理由はここにある。異性を強く意識しながら、同性との人間関係も深まる。人間の存在を認めるとはどういうことなのかを考えながら、人を受け入れる気持ち、人を信頼する心、人に頼ること、人を助けること、人に支えられることを日常生活の中で繰り返し体験し、自分とは何なのかを模索する。人間の本質にこだわり、さまざまな欲望、欲求を意識し、それに圧倒されながら、自己統禦することを対人関係の中で学び、身につけていく。
【2004年10月16日号】