学生時代から友人の相談に乗ることが多かったという。その矢永さんがエイズと関わるようになったのは、1990年だった。前年、癌になった祖母の影響でホスピスにおける癌患者へのカウンセリングを学んでいたアメリカから帰国して間もなく、仲間のカウンセラーから誘いがあり、HIV・AIDS患者のカウンセラーとして97年まで7年間、産業医科大学(福岡・北九州市)で勤務した。
当時は、HIV感染を理由に解雇された会社員が話題となるなど、今では考えられない差別や偏見に翻弄されていた時期でもあった。やがて、抗HIV薬の発達で「HIV感染=死」ではなくなってきた97年、全国を8つのブロックに分けた九州・沖縄ブロックの拠点病院、国立病院九州医療センターに勤務。そこでは、「医師や看護職、ソーシャルワーカーなど多職種の方々との関わることが好きなのですね」と、チーム医療に励んだ。
矢永さんは今年2月末からJICAの技術協力専門家養成研修で、アフリカのザンビア国へ赴いた。現地は、成人のHIV感染率が16%、その中でも女性の感染は半数以上を占めている。
今回、この研修で矢永さんを驚かせたのは、エイズへの偏見の根深さだった。病院を訪れた時、入院患者の5割もHIV・AIDS患者が占めていたが、現地のマスコミを含め人々の関心は低く、「エイズ死」=「あの病気での死」という暗黙の了解で語られていた。また、女性感染者高率の背後には、予防行為を交渉する立場にないなど、女性の社会的地位の低さ、ジェンダー問題が存在しているという。
今の日本のエイズ教育は、いまだ「外国の病気」というイメージが強く、他人への偏見・差別など道徳教育が中心で、自覚が足りない。「もし、自分が、または、身近な人がなったら」という想像力が必要。「何を教えるか」のその前に「自分がどう考えるか」、そこからのエイズ教育を望んでいる。エイズは医療ばかりでなく、行政、福祉、地域や学校など今の社会をあぶりだしていると、矢永さんは言う。
アフリカのHIV・エイズ問題。薬物による感染者が多いアジア諸国と違い、性行為を介して広がっている点は日本と共通している。
日本の縮図・東京都では04年、HIV感染者・エイズ患者の報告数は過去最高となった。
<プロフィール>
矢永由里子 (やなが・ゆりこ)
・米国テンプル大学大学院教育学部カウンセリング学科修士課程修了。
九州大学大学院人間環境学部博士後期課程卒業。
国立病院九州医療センターなどでHIV感染者へのチーム医療に参加。
また、福岡国際交流協会にて在住外国人のメンタルケアにも長年携わる。
現在、財団法人エイズ予防財団の研修・研究部に勤務。博士(人間環境学)。
【2005年4月16日号】