【特集】健康教育 放射線の影響についての知識を得る

 新学習指導要領で大幅な時間増となった理科。中学においては「放射線」教育は40年ぶりだ。一方、東京電力福島第一原発事故で、保護者や児童・生徒の「放射線」への関心が高まった。これは、科学技術分野への興味関心と言うよりは、健康被害への懸念からであると言える。放射線情報を日々確認しながら引っ越しを重ねている家族もあり、かえって子どもに大きなストレスを与えているという例も聞く。「正確な情報の欠如」即ち必要以上の警戒や恐れは「放射線」そのものの被害以上に深刻になる可能性がある、と放射線医である中川恵一氏は指摘する。今必要な知識とは何か。中川氏に聞いた。

放射線医として伝えたい 適切な判断のための知識とは

放射線への不安とは 発がんリスクの上昇

放射線医

東京大学医学部
附属病院放射線科
中川 恵一氏

 東日本大震災に伴う福島原発事故は、あってはならないものでした。しかし起きてしまった以上、私たちは福島原発事故から発生した放射線の問題と長期間にわたり、つきあっていかなくてはなりません。

  今、被災地のみならず、日本に蔓延している「放射線」に対する大きな不安とは何でしょう。

  それは、放射線被ばくによる「発がんリスクの上昇」にあります。

  今の日本で、放射線の影響による発がんリスクはどの程度上昇しているのか。あるいはしていないのかが分かれば、適切な判断の一助となるはずです。

  その一方で、日本は現在、世界一のがん大国と言えます。日本人の2人に1人が1つ以上のがんにかかっており、死亡原因の約3割ががんとなっています。

  世界一のがん大国であれば、世界で最もがんの知識が必要であるはずなのですが、がんについての教育は、一般にはもちろん、学校にも不足していると言えます。

  がんについての知識の1つが、放射線についての知識ともいえます。

  私の専門はがんの放射線治療と緩和ケアです。放射線医学について27年間臨床と研究を続けてきた経験から、適切な判断をするための正しい情報を放射線医として、提供していきたいと考えています。

発がんのしくみから放射線のリスクを知る

  がんはどのような仕組みでできるのでしょうか。

  人間は約60兆の細胞でできており、毎日1兆の細胞が死んでいます。

  失われた細胞を補うためには、細胞分裂が必要です。

  細胞分裂とは、DNAのコピー作業です。その際、コピーミスは必ず起こります。ミスしたものは多くの場合、免疫細胞によって殺されていきます。しかし、ごく稀にコピーミスで生まれた「死なない細胞」が生まれることがあります。これが「がん細胞」として成長していきます。

  免疫細胞は自分とは異なる細胞を認識して殺していくという仕組ですが、長く生きるほど取りこぼしが起こり、「がん細胞」となるのです。

  1つのがん細胞が育つには20年くらいかかると言われていますから、長生きするほどに「死なない細胞」が増え、がん細胞が増えていく可能性が高くなります。がんイコール老化現象と言うこともできるのです。日本ががん大国なのは、世界一の長寿国であるからと言うこともできます。

  がんを発症しないためには、正しい生活習慣と早期発見が必要です。早期に見つけることができれば完治する可能性は高いのです。しかし、早期がんに症状はほとんどないことから、早期発見のためには早期検診が必要となります。ところが日本のがん検診率は2〜3割程度。欧米の7〜8割に比較するとかなり少なく、先進諸国で唯一がんの死亡率が増え続けている原因のひとつと考えられています。

自然被ばく量から 放射線のリスクを知る

  「死なない細胞」を生み出す原因の1つが、「被ばく」です。放射線の場合、年間で100ミリシーベルト(以下、mSv)を超えると、発がんリスクは0・5%上昇します。

  私たちは毎日、食べ物や宇宙、天然の放射性物質から、「自然被ばく」しており、日本における自然被ばく率は年間約1・5mSvですから、70歳を超えると100mSvを超える計算になります。

  ところが、スウェーデンでの被ばく量は、年間6mSv。世界で最も被ばく量が多いのはイランのラムサールという温泉保養地で、年間平均で10mSvです。日本は世界的に見ても放射線量が少ない国であると言うことができます。

  また、宇宙では約半年で180mSvと、原発作業者並みの被ばく量となっています。一般人でも成田〜ニューヨーク間を飛行機で移動すると、1回で0・2mSvですから、7回往復すると日本の自然被ばく量に達してしまいます。しかしこれらの土地で、あるいは飛行士やパイロットに発がん率が高いというデータはないのです。

  これは、DNAには、被ばくなどにより損傷した箇所を修復する仕組みが備わっているため、徐々に被ばくする場合は大きく発がん率が上昇することはないということを意味しています。同じ100mSvでも、何年で被ばくするのかでその影響は全く違うということです。

  福島で被ばく量が多いとされている浪江町や飯館村の外部被ばくの推計では、約99%の住民が10mSv未満でした。福島県のほとんどの人が5mSvに収まっており、心配するほど高い線量ではないことがわかっています。

  また、放射性物質を体内に取り込んだ場合、すべてが体内に蓄積していくわけではありません。時間が経つにつれ代謝や排せつで外部に出て行きますし、半減期によって放射線も弱まります。

  例えば野菜にはカリウム40という放射性物質があり、年間0・2mSv程度の内部被ばくが起こります。野菜を食べるほど内部被ばくするわけですが、野菜はがんのリスクを大きく減らすことが知られています。このことからも、カリウム40による内部被ばくを必要以上に心配する必要がないことがわかります。

チェルノブイリと 広島・福島の違い

  平成17年度のデータによると、広島市の女性は、政令指定都市の中ではもっとも長寿であるという結果が出ています。放射線被害は現在ほど問題視されていませんでしたから、原爆投下後も広島市にとどまった人たちも多い状況でしたが、最大35万人の人たちに被ばく手帳が配布され、手厚い医療が施されたことから、がんについても早期発見、早期治療が可能になり、結果長寿市となったのではないかと予想できます。

  今後、適切な医療が施されることで、福島の被災者も健康で長寿でいられる可能性があると考えています。

  一方、チェルノブイリでは、大量の強制避難が行われました。その結果、特に男性の寿命が短くなっており、その後自主的に戻った人のほうが長寿であるというデータもあるのです。被ばくによるリスクを下げるための避難が必ずしも安全や安心につながるというわけではないということがわかります。

  チェルノブイリでは、小児甲状腺ガンの増加が報告されています。

  ヨウ素は体内で甲状腺ホルモンを合成するのに必要な元素です。チェルノブイリは内陸部にあり、常に身体にヨウ素が不足している状態でした。そこに、事故によって放射線物質であるヨウ素が大量に放出され、もともとヨウ素を求めていた細胞に大量に取り込まれてしまったのです。

  しかし、日本人はもともと海藻などで良質のヨウ素を身体に蓄積しており、同じ状況には至っていません。

  甲状腺被ばく量で比較すると、チェルノブイリでは4歳以下の1%が1万mSv、一方福島周辺住民の場合は40〜80mSvと圧倒的に少なく、チェルノブイリ同様に小児がんが増えるということにはなりません。

適切な判断は 正しい知識から

  広島・長崎では、一度に大量の放射線を浴びたことから、被ばくの瞬間にどこにいたかによって、被ばく量を特定することができました。その被ばく量に基づく綿密ながん検診が行われ、被ばく量と発がんの関係がわかってきました。それによると、年間100mSvでがん死亡率が0・5%上昇しますが、100m以下では科学的なデータは得られませんでした。しかし、より安全な形に配慮し、100m以下でも比例して増えると仮定されています。

  被ばくを恐れるなとは言いません。しかし、目的を「発がんせず長生きすること」と考えると、現在の日本の状況に応じ、正しい知識に基づいて適切な行動をとれるかどうかが事故後の生活を大きく左右します。

  放射線を正しく怖がることの大切さを1人でも多くの方に知って頂き、日本人1人ひとりががんや被ばくの問題について知識を持つことが、結果的に福島の方々にとってもプラスになることではないでしょうか。被ばくの問題に日本人が適切に向き合い日本人のがんが減り、より健康に長生きできることを願っています。

 

【2012年5月21日号】

<<健康・環境号一覧へ戻る